純文学とは何か (中公新書ラクレ 604)
純文学とは何か (中公新書ラクレ 604) / 感想・レビュー
harass
毎年の行事である、村上春樹のノーベル賞受賞騒動の話から、純文学とその対になる通俗小説、近代小説と以前の小説、詩歌、各国の違いなどをざっくばらんに語る新書。歴史小説と時代小説の違い、中間小説などなど。いつもの著者のトリビア的な知識が繰り広げられる。結論として、小説の技法はもうやり尽くしているとあり、非常に納得。消え行くものかもしれない。ラノベもでてきて驚く。作品名や作家名の説明が少ないのである程度知識がある人向け。少し物足りなさもあるが、神と同等に断言するほど不遜な評者はもうありえないのかもしれない。
2017/12/11
さらば火野正平・寺
夢中で読んだ。純文学と通俗文学。歴史小説についてもページを割かれている。最後は私小説について。文学を取り巻く過去と現在のあれこれを知るのに良い1冊だと思う。第五章にメジャー出版社の出す総合誌、文藝誌、中間小説誌、週刊誌の一覧がある。集英社の部分に「週刊誌なし」とあるが、週刊プレイボーイがあると思うのだが(毛色が違うのであえて数えなかったか?)。私も昔は筒井康隆ファンで、筒井の短編『小説「私小説」』等を読んで、私小説を読んだ事もないのに私小説を軽蔑していた。西村賢太のファンになった今となっては恥ずかしい。
2017/11/10
tomi
「純文学」とは何なのか? シェイクスピアや源氏物語から現代文学のみならず̪、詩や児童文学、漫画、アニメ、映画、音楽といったジャンルを超えて、縦横無尽に純か通俗かを論じる。色々詰込んだために散漫な感も受けるが、読みやすく面白い。私小説に批判的な批評家は触れたくない過去を持っている、という指摘など興味深い。戦後の大衆文学を代表する松本清張が芥川賞作家であるように、純文学作家と言われる作家の作品が純文学とは限らないのは当然ですが、大江健三郎や古井由吉といった中間小説誌に書かない作家を純文学作家としたほうが→
2020/11/20
阿部義彦
不思議な純文学というカテゴリー、著者は純文学←→通俗小説という大枠そして、中間小説(もはや死語?いや私は親しんでましたが)という言い方も援用してかなり大胆に決めつけてますが、これがかなり核心をついていて、初心者にもイメージがつかめるかと思います。時代ものには私は疎いので(時代小説嫌いのSF好きと書かれた通り)第5章からは俄然と面白くなり、適当な直木賞などはその通りと思い、外国の文学(ポール・ギャリコが典型的通俗作家!)に関することから私小説論(皆んな裸踊りが好きなのだ!至言)、私怨もスパイス効いてる!
2017/11/16
禿童子
「純文学」の反対語は「通俗文学」。純文学の定義をめぐる考察と、実際にどの作家が純文学作家であるか、というよりも同じ作家でも作品によって「純」もあれば「通俗」もあるという点に特に言及する。小谷野さんは「純文学」=「私小説」と主張しているように読める。結論としては村上春樹も含めて現代は通俗文学に覆われて純文学は絶滅寸前。未来は文学そのものも存続するか疑問というやや悲観的な話も。議論というより小咄、エピソードで面白さで読ませる本になっている。通俗をけなすというよりも、失われゆく私小説への哀惜の念というところか。
2018/10/27
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