ロマノフ家の最後 (中公文庫 M 347)
ロマノフ家の最後 (中公文庫 M 347) / 感想・レビュー
i-miya
2014.01.23(01/14) (つづき)A・サマーズ、T・マンゴールド著。 01/22 (p108) 帝政派。 皇帝が生存しているという神話を広めた。 つまり、生ける皇帝が国民を決起させるというシナリオ。 しかし、失踪から半年、出てこない。 説得力ない。 ここで帝政派は別のシナリオを考える。 セルゲーエフ判事の調査はこの目的に合わない。 処刑を思わす多くの証拠前に全員殺害に見せかけたボリシェヴィキ謀略説を取り、脱出を主張。
2014/01/23
i-miya
2013.12.14(12/14)(つづき)A・サマーズ、T・マンゴールド著。 12/13 (p105) イパチェフ館の虐殺というかびすましい宣伝が突然出てきた理由は何か。 白系ロシア政府内部の政治的緊張は何か。 (1)セルゲーエフ判事解任、(2)粗雑な説明、(3)より手の込んだ説明、白軍の最高司令官コルチャック提督-完全な職業軍人-帝政ロシア海軍の忠実な将校。
2013/12/14
i-miya
2013.01.12(つづき)A・サマーズ、T・マンゴールド著。 2012.01.10 おお、なんという偶然、A.サマーズの本、連ちゃんだ(i-miya)。2.セルゲーエフ判事の調査。 皇帝とその家族、従者の全員がそこで銃殺されたとは信じません。 1918.12、判事論評。 7/17、ブラインド降ろし、出た列車に乗っていたと、信じられる、生存者が。(1918.10、サー・チャールズ・エリオット) ロンドンにて。 従兄、ジェームズ五世。
2013/01/12
i-miya
2013.06.19 (つづき)A・サマーズ、T・マンゴールド著。 2013.06.16 (訳者あとがき、又読む) 事件は内戦の最中に起こった。 1918.0716夜、シベリアの奥地、ウラル山脈での事件。 地元のボリシェヴィキの手により全員銃殺が定説となっていた。 それから60年、(1978??)、アンソニー・サマーズ、トム・マンゴールド(BBC記者)の二人。 四年越しの追跡調査。 1976秋、出版。 1971、BBCドキュメント番組『パノラマ』の企画。 プロデューサー、サマーズと記者のマンゴールド。
2013/06/19
i-miya
2013.11.12(2013.11.12)(つづき)A・サマーズ、T・マンゴールド著。 2013.11.11 (p104) 殺害に関する情報、オムスクの白軍司令部から出ていることに気づく。 セルゲーエフ判事の判断内容。 フランスの情報機関発表、1918.12.05、背筋の凍る報告、「囚人は椅子に縛り付けられ、兵士が皇女を辱めた。皇帝はそれを見て、殺してくれと取りすがる」 セルゲーエフ判事の解任の六日後、1919.01.29、シベリアに出張中のジャナン将軍、長文の報告。
2013/11/12
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