盲目物語 (中公文庫 た 30-24)
盲目物語 (中公文庫 た 30-24) / 感想・レビュー
ヨーイチ
青空文庫にて。谷崎潤一郎が王朝文学に関心を抱き、谷崎源氏に結実したと理解していた。本作もその系譜であろう。「だらだらと果の無い長い文章と古めかしい言葉使い」が思う存分味わえる。揉み療治と音曲で世過ぎをする盲の一人語り形式で意識的に漢字を廃した文章はとても個性的で魅力的。こんな文章をよく書けるなあと感心するばかり。所々音読してみたりする。初読であるが二代に渡る勘三郎の当たり役だったので(脚色は宇野信夫)題名は知っていた。文章自体が作品の肌あいになっていることに気が付く。これも名人芸。
2016/10/09
ヨーイチ
敦盛、例の「人間五十年〰」て奴。「ニンゲンじゃなくてニンカン(ジンカン?)だよぉ」って蘊蓄が有るのですが、作中で大谷崎が引用している。ご存知のように本作は漢字の少ない作品。大谷崎は「にんげん」っているのを発見。もっとも本作では謡うのは柴田勝家なのだが。
2021/01/05
うた
信長の妹御お市の方の栄枯盛衰。長政公の元を離れた時点で、彼女の人生はほとんど終わっていたのだろう。この物語も後半に近づくにつれ、勢いをなくしほそぼそとした印象のみが残る。戦世の習いというのは悲しいものだ。
2017/06/23
うた
再読。盲目の按摩士にお市の方とその伴侶たちの盛衰を語らせることで、内から見た人物像と外から見た歴史が絡まりあい、絶妙な説得力を生んでいる。史実にもとづいた小説は数多あれど、語り口によって信じてみたくなるようなものはそう多くないように思える。そんななか本作は主題、文体、構成が一体を成している好例と言ってよく、単に『春琴抄』への過程にある実験作と評するに惜しい一品である。
2015/08/23
兎乃
先日図書館にて読了。須賀敦子氏が「私も、少女のころに、叔母の文机のうえにあった『盲目物語』を盗み見て、その美しさに息をのみ、しばらく平仮名だけでものを書くことを自分に課した時期があった。 」と書くように、平仮名で美しい文章が綴られています。『ほおびがあるぞ おくがたをおすくいもおすてだてはないか』三味線の音で交わされる言葉がとてもドラマチック。盲目の按摩師であり三味線弾きである弥市。身分違い、聴覚と触覚で生きる弥市の恋慕が連綿と綴られ その心情と視覚的な平仮名の見事な調和。
2012/08/13
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