新訳メトロポリス (中公文庫 ハ 13-1)
新訳メトロポリス (中公文庫 ハ 13-1) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
映画のイメージが先行するせいか、全体に古いモノクロームの無声映画を見ているかのような印象だ。ドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」を彷彿とさせるシーンや、手に汗握る活劇風の場面が繰りひろげられることなども一層映像的な感覚を醸成しているのだろう。物語世界は、その全編が終始一貫して人工の光に照らされた「造りもの」感に覆われいる。「神」もまた、ここでは「張りぼて」であるかのようだ。1920年代のドイツの繁栄と、その裏側にある頽廃と、そして、その根底に潜む捉えどころのない危機感とが背後にあったようにも思われる。
2013/11/19
藤月はな(灯れ松明の火)
映画は未視聴。メトロポリスは煌びやかな都だが働く人々は人間の情動や感情が抜け落ちてしまったかのよう。支配者であるフレーデルセンは労働者の感情を認めなかったが、一人息子のフレーダーへの愛情は本物だった。「ヘル」/「マリア」という名の女性が神の創造物である「男」、「アダム」に叛いた「女」、「リリス」でもあり、知恵の実を食べたことによって楽園の平穏を撃ち壊したが新たに「子」と「秩序」を生み出す者としての役割を負った「イヴ」でもあるというのはジェンダー的に見ると大変興味深いです。
2014/09/18
まりお
無声映画やアニメ映画にもなった作品。経営者と労働者。支配する側とされる側。主人と奴隷。あらゆる二面性が集う場所。ただどちらも街を、機械を動かす歯車でしか無かった。彼らを狂わせた機械、怒り赴くままに暴走した切っ掛けも機械。何だか皮肉なものである。
2018/03/05
猫丸
「だジョー」はハタ坊、サザンの原由子は原坊であるが、これはハルボウ。20世紀初頭ドイツ女流SFを初読。1926年発表。チャップリンの「モダン・タイムス」は1936年だそうだから、10年も先がけている。「精神不在の機械文明の進むままで良いのですか。心を取り戻しませんか」という非常に安易なコンセプトは凡庸そのものであるが、むしろ派生的な神話的物語素の混入具合が面白い。この作品からインスピレーションを得た後続作は数多いとみられる。父子の葛藤や神話的世界観等はエヴァンゲリオンの原材料のほとんど供給している。
2020/10/21
マリリン
まるで今の時代を予言するかのような作品。著者は1888年生まれ、本書はSFだと思うが、日々の生活の中で失われつつある人間が生きていく上で大切なものは、科学の発達だけでは補う事ができないと改めて感じた。心の触れ合いがあってこそ、人は人として生きていけるのではないかと思った。 少し前に読んだフィラディオハーンの「心」を思い出した。
2018/03/13
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