マイ・ロスト・シティ- (村上春樹翻訳ライブラリー f- 1)
マイ・ロスト・シティ- (村上春樹翻訳ライブラリー f- 1) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
村上春樹が初めて翻訳した作品集の改訳版。5つの短篇と表題作(自伝的エッセイ)、及び春樹によるフィッツジェラルドへのオマージュからなる。いずれもアメリカ文学を読む楽しみに満ちている。例えば、南北の違いに想を得た「氷の宮殿」を読むと、あらためてアメリカの広大さと、地域によって背負っている歴史の違いを感じる。また、フィッツジェラルド自身の浮沈を投影したかに思われる「哀しみの孔雀」も2通りの結末が紹介されていて、興味深い。もちろん、作品としての良さは「ハッピーエンド版」は、オリジナル版に遠く及ばないのだが。
2013/06/25
ケイ
フィッツジェラルドと言えばギャツビーで、ギャツビーとは自分にはとうてい理解できない文学であった。人の弱さを理解し、憐れみではなく優しさでそれを見守れるようになると、その良さがわかってくるなと今回読んで思う。成功していた1920年代の「残り火」「氷の宮殿」の悲しさと、足掻いていた1930年代の「哀しみの孔雀」「失われた3時間」「アルコールの中で」の鬱々とした感じは全く違うが、ともに人々が辛さに苦しみながらも誰かを責めずに静かにいるのがとてもいいと思った。「マイロストシティ」は空々しいNYをすぐそばに感じる。
2015/06/06
市太郎
失われた世代というのを最近まで全く知らないでフィッツジェラルドとかフォークナーとかも読んでいたのであるが、ある程度知ってから読むと、そうですか、これがロストジェネレーションというものかと納得した次第です。ここには何かしらの空疎さがあり「残り火」が一番印象に残ったが、それ以外のも空疎さという意味では同じ出汁が滲み出る。「哀しみの孔雀」がもっとも、あの時代を感じさせるが、結局のところ僕にとってフィッツジェラルドとはとても胸に沁みる作家で、失われた世代というよりも、しんしんと降る静かな雪という方がしっくりくる。
2015/05/27
NAO
5つの短編と1つのエッセイからなる。短編は、一度は手が届いた世界からはみ出してしまった者、そういった過去の失われた世界に住み続けようとする者たちを描いている。フィッツジェラルドの作品は、富を望んで拒まれる話が多いが、「氷の宮殿」は、南部の美女サリー・キャロルは自らその華やかな世界を捨てる。彼女は、活気ある豊かで新しい世界に憧れてはいたが、実は、南部の旧態依然の生活が嫌ではなかった。拒まれて破滅していくのではなく、自らの意思で失われた世界に戻っていったサリー・キャロル。それもまた、悲しい姿だ。
2020/09/13
翔亀
抜群のストーリーテリングの冴えをみせる短編集。が、どの作品にも漂う喪失感は何だろう。1932年に書かれた表題作は、"狂乱の1920年代"といわれる失われたNYを追想する。ドイツではワイマール、日本では大正デモクラシー、29年の大恐慌の前のつかの間の繁栄の時代だ。しかし、その繁栄の20年に書かれた「残り火」「氷の宮殿」でも、新婚という時間への、あるいは南部という風土への追憶と喪失が切々と描かれるのだ。フィッツジェラルドにとって、20年代のNYを"失った"のではなく、あらかじめ"失われていた"のかもしれない。
2014/12/29
感想・レビューをもっと見る