ウルトラマリン (村上春樹翻訳ライブラリー c- 7)
ウルトラマリン (村上春樹翻訳ライブラリー c- 7) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
レイモンド・カーヴァーの詩集。訳は村上春樹。アメリカ―では広すぎる―ウエストコースト―ただし、沿岸部からは幾分か内陸に入ったところ。そしてノスタルジー―それは失ったものと等価。そんなキー・コードが思い浮かぶ。『ウルトラマリン』という、詩集に冠されたタイトルはとても素敵だ。どこから来るのかは分からないのだが。彼方にあって、いつもそれを求めつつ、それでいて永遠に手に入れることはできないもの、といったイメージか。カーヴァーも村上春樹も、本質的には散文作家だと思う。カーヴァー自身が自分を詩人と任じていたとしても。
2014/01/01
Y2K☮
カーヴァーの創作のルーツは詩だったらしい。でも彼が他の同タイプの作家と違うのは、詩が何というか詩らしくない。淡々としていて衒いが無い。私も詩作に挑んでいた時期があったけど、どうしてもこれができない。娑婆っ気や打算が出てしまう。彼にとって小説は詩の延長なのかと思えるが、頭の使い分けはこれ如何? 御多分にもれず彼も苦難の続く人生を歩んだ。だからこそ稀に幸せの瞬間や愛情の喜びを謳う作品を見出すと心底和む。テスに出会えて救われたんだな。ウルトラマリン。青に惹かれる。時に荒々しくも無限の先を穏やかに見せる海の青に。
2019/03/22
Ecriture
ある場所にいながら他の場所にもいる、20世紀後半から19世紀の兵士に意識を飛ばす「投げる The Projectile」、一羽だけ生かされて同志を裏切り続ける雁を描いた「Limits」、スペルアウトすることで何かを捨てる「Spell」、誰か別の男と取り違えているのではという「The Author of Her Misfortune」、生と死を眠りの連続性でつないだ「Sleeping」などの佳作が揃う。自らの内部であたりを見回し、異空間につながる構成は村上春樹のトビ方に似ている。
2013/04/27
Holden Caulfield
「滝への新しい小径」から2冊目のカーヴァーの詩集、 前作のレビューで「自身 詩を楽しめる質じゃない」 「大好きなカーヴァーの詩集だから購入した」と語ったが 今回 ちょっと読み方を変えてみた 今まで未読作は呑みながら読まないようにしていたが、本作はあえて呑みながら毎夜2~3篇を楽しんでみた 結果「滝への新しい小径」の時よりもカーヴァーの『詩』を楽しむ事ができた、 まだ未読&未購入のカーヴァー詩集があるが、 あえてブックオフオンラインで購入は考えていない、 古書店探検の時に発掘したら購入したいと思う、
2018/10/21
バナナフィッシュ。
誰にでも伝わるような言葉で、もし心の表面、そのまた1センチ奥のところまで届いたのなら。それがサラッと撫ぜるんではなくって、ずっとそのまま居ついてくれたのなら、そんな素晴らしいことはないハズだ。カーヴァーは僕にとってそういう作家、本棚の、サッと取れる場所で日々見守ってもらいたい作家。
2018/04/05
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