バビロンに帰る: ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック2 (村上春樹翻訳ライブラリー f- 4)
バビロンに帰る: ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック2 (村上春樹翻訳ライブラリー f- 4) / 感想・レビュー
harass
ほかの本で「バビロンに帰る」のことが書かれていて、名前だけは知っているこの短編が気になり読む。フィッツ作品はこれまで数編読んだことがあるだけ。春樹作品はそこまでファンでもないのもあり、そこまで良いとは感じれなかった。読後に主人公の孤独と再起をかける気持ちはわかる。描写などのさりげなさがプロの小説家からみると奇跡的なのだろうとは分かるのだが。いつかまたチャレンジしたい。
2018/03/11
翔亀
5編所収の短編集。2編が初期のもの、見事な構成と華麗な筆致で余韻たっぶりの悲劇。3編が後期(名声を失した後の)のもので、いずれも1930年代パリが舞台だ。29年の大恐慌が大きな影を落とす。アメリカの没落と、作家の(アル中という個人的要因もあるが)没落がシンクロしているところに、読みごたえがある。その中で表題作は、完璧。パリで狂乱の滅茶苦茶な騒ぎの毎日を送って妻を失った男の再生の物語。まさしく作家自身の物語であり、「品性というものを永遠に価値のある要素」(p170)として生活に取り戻そうとする静かな格闘。↓
2015/01/02
Y2K☮
表題作はギャツビーの匂い。やるせない。アルコール依存症に苦しむ己の真実と嘘すらも昇華させた「新緑」も頭に残る。春樹氏の文章は相変わらず思い入れの強さを感じさせつつ、おかげでかなりフィッツジェラルドの人間像を掴めた。だが本書の白眉はカウリー氏のエッセイ。創作のヒントがちりばめられていて、フィッツジェラルドが時代の寵児に選ばれた背景も学べる。当時のアメリカは英国という厳しい親元から真の意味で独立した、ある種の大学デビュー期だった。国の成長と己の躍進をシンクロできたことは彼の成功にとって大きく、そして重かった。
2021/05/15
春ドーナツ
題名や内容を忘れていても書き出しを目にするやハッと思い出す。開花の高速度撮影のように。「旧石器時代があり、新石器時代があり、青銅器時代があり、そして長い年月のあとにカットグラス時代がやってきた」この一文からの連想で今は何の時代なのだろうと考える。あなたは考えてみるまでもないと言うかも知れない。終息を切に祈ります。***訳者の腕の見せ所、泥酔したトム・ラウリーの発言。「うぉれまふぁるはえひ―」クイズにしても良いけれど、彼はこう言いたかったのだろう。“こんなことになってしまって”(引用元『カットグラスの鉢』)
2020/04/07
Ecriture
「バビロンに帰る」は特A+の短編だと村上春樹は言う。同感だ。本書には収録されていないが、パリで泳ぎを習得して「泳ぐ人たち」も特A級の作品だと思う。北部と南部、東海岸と西海岸、パリとアメリカ、栄光と没落、数々のダブル・ヴィジョンを成し遂げながら人情の機微を描き上げている。
2014/10/06
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