内破する知: 身体・言葉・権力を編みなおす
内破する知: 身体・言葉・権力を編みなおす / 感想・レビュー
寛生
【図書館】知の商品化と大学の市場化の荒波の中、他者に開かれていく身体と言葉、越境していく知を4人の知識人が問う。それは「身体の知」というよりは〈知の身体〉を探求しているのであり、その「創造している知」が現実社会の声といかに共感し、身体の鼓動と切り結んでいるかだ。体系や制度があるかのような知の世界に割れ目や裂け目をあえて見いだし、そこから湧き出てくる声にこの知識人たちは自らの耳をすましていく。そこでは注意深い自らの傾倒によって沈黙を聞き取ることになる。そのとき、目の前になった境界線や自らの知が内破していく。
2014/10/29
chanvesa
出版された時に読んだ13年前は面白く読んだ記憶がある。インターネット、9.11、3.11によって、世界と日本の変化は、この13年間で、この本の議論を古くさくさせている。水俣病の問題だけが、普遍的だ。特に福島第一原発事故の問題は、水俣と同じ根にある気がする。その他の問題は、システムを内破させる前に、システムが崩壊してしまったとしか思えない。教育、出版、新聞は昔日の栄光(幻影の栄光であったとしても)を回想するのみである。巻末の座談ものんきな感じがする。
2013/04/15
澄川石狩掾
本書収録の、小森陽一「起源の言説―「日本近代文学研究」という装置」に興味があったので読んだ。特定の作家のテクストを「日本文学」として研究しことほいでいるとされる「日本近代文学研究」という解釈共同体を批判的に捉えているが、近年の小森氏の弟子筋の人々の博論本を読んでいると、彼もまた自身が批判するところの解釈共同体を再生産しているのではないか、と思う。
2022/01/15
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