近代の意味: 制度としての学校・工場 (NHKブックス 470)
近代の意味: 制度としての学校・工場 (NHKブックス 470) / 感想・レビュー
白義
近代制度とそのイデオロギーを学べる解説書としてはもはや古典に属する。大まかに近代を合理的均質化とその剰余としての不合理な群衆化と定め、それらを準備する学校や工場の歴史と思想を辿り、最後に西洋と比べた場合の日本の近代化の特徴を分析している。教会─家族権力から学校─家族権力という移行を辿る必要があったヨーロッパと違い、日本は江戸の勤勉革命もあってか比較すると穏やかに学校制度が定着したようだ。日本の美徳イデオロギーと結び付いた集団労働主義といい、今の日本の風景にも通じる優れた分析が多い
2012/10/07
かなすぎ@ベンチャー企業取締役CTO
ちょうどオリンピックだったので、国民国家の章が面白かった。なぜ日本人は、自分たちを日本人だと思って、日本の国を応援して、ただ国籍が同じだけで、縁もゆかりも無い日本代表選手を応援するのか?それは、近代で学校などを通じて、国家が仕向けたことであり、言語の統一や考え方の統一したからこそ生まれたことであり、自分たち現代に生きる人はそれを当たり前と思ってしまってるが、ここ最近100年足らずで、成し遂げられたことであるというのは、自分の当たり前の感覚を疑うことができる大きなきっかけになりそう。
2021/08/01
夕波千鳥
近代とは何か。均質化と群衆化。特に均質化について、学校、工場の出現と発展をもとに論ずる。ポストモダンの概説書として、非常に興味深い。 近代は全体を通じて「均質化と群衆化」、個人の埋没の時代だったのだと思う。では、この先はどうあるべきか? 執筆された1984年時点はおろか今もまだ結論は出ていない。 ただ本書にはそのヒントがある。 「競争に駆り立てられ、「しっと」や「ねたみ」に駆り立てられるこの群衆社会の中で、群れに同調せずに生きてゆく「棲み方」を我々は自分で見つけてゆかねばならないのである」(p.212)。
2020/10/24
左手爆弾
露骨にフーコー的な問題意識の下に書かれている。群集社会を出発点として、学校と工場の中で、人々が何を求められるようになったのかを様々な文献を使って述べていく。その辺の話は寄せ集め感もあるのだが、19世紀のフランスの教員は、給料が低すぎて人が十分集まらなかったり、兼業も多かったという話は面白い(51頁)。後半の日本における近代の彫刻の議論は、ダイジェストとしてはよく出来ているのではないか。立身出世主義や社会主義の風潮が強まると、労働者に主従関係を求める言説が出てくるんだなぁ……。
2023/04/28
Ra
レポートのために。考察としてはやや粗い印象を受けたが、近代を分析する視点として幾つか新鮮味のあるものを得られたので良かった。
2017/05/28
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