KADOKAWA Group

Facebook X(旧Twitter) LINE はてブ Instagram Pinterest

私とマリオ・ジャコメッリ: 〈生〉と〈死〉のあわいを見つめて

私とマリオ・ジャコメッリ: 〈生〉と〈死〉のあわいを見つめて

私とマリオ・ジャコメッリ: 〈生〉と〈死〉のあわいを見つめて

作家
辺見庸
出版社
NHK出版
発売日
2009-05-01
ISBN
9784140813751
amazonで購入する

私とマリオ・ジャコメッリ: 〈生〉と〈死〉のあわいを見つめて / 感想・レビュー

powerd by 読書メーター

かふ

ETV「こころの時代選 『在る』をめぐって」で辺見庸のインタビュー番組で取り上げられていた写真評論。ジャコメッリはデジカメが登場してくる頃(2000年)に亡くなっている。デジタルの資本主義(鮮やかに色付けされ欲望を満たす)のカラーの世界とは対極にあるジャコメッリのモノクロの世界。表面的なインスタ映えの写真とは対極なのは表面より内面の世界をえぐり出す。死と時間の境界にある生。バルトは『明るい部屋』で「一般的関心を破壊する要素」である、刺し傷や小さな裂け目という意味の「プンクトゥム 」と名付けている。

2019/07/25

nbhd

「仮死状態の主体が撮ったような写真」と辺見さんが評するジャコメッリ。表紙の写真のように、ピンぼけしたモノクロの世界が不気味です。辺見さんによると、現代人の眼は資本主義に冒されている、というんですね。しかも資本主義は、生と死のあわいを捉えたジャコメッリですら、取り込みうる主体不在のシステム。中平卓馬さんという写真家の象徴的な言葉が引用されています。「眼はすでに制度化された意味をひきずったまま、意味の確認をしか世界に求めようとしない。眼は外界へ通じる透明な窓ではなく、世界から私を遮断するシェルターに変わる」。

2019/08/04

さっちも

気がまぎれるかなぁと読んだのだが、ちっとも頭に入らなかった。

2018/04/26

さっちも

便所にあるジャコメッリの分厚い写真集は深遠な何かを表しているのだろうけど、それが語りかけてくる気配がいっこうにこない。この本は発作的に読みたくなってしまうから、鈍い感性がほとほと嫌になる。辺見曰く「世界を純粋客観的にとらえうるとするのは近代以降、今日にひきつづくひとの驕慢な幻想である。私たちはそれぞれの脳裡に秘めた知と想像(妄想)と狂気以上のものを世界に投影することは所詮できはしない。世界とはすなわち、かなたにある客体像ではなく、内なる非客観的ないし主観的幻想なのである」このへんが実感として分かればなーと

2017/10/25

rakim

あざといぐらいに操作(絶対に装飾ではない、と思う)されているのはわかっていても、突き刺さってくる写真のイメージは言葉の空虚さを感じさせるのです。でもそこにある辺見氏の言葉は、ジャコメッリの世界に向かう心の後押しをする。漠然とした胸騒ぎを増幅させるのか、静かに鎮めるのか、それは読者の心情によるのでしょう。

2016/11/21

感想・レビューをもっと見る