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『歎異抄』 2017年10月 (100分 de 名著)

『歎異抄』 2017年10月 (100分 de 名著)

『歎異抄』 2017年10月 (100分 de 名著)

作家
釈徹宗
出版社
NHK出版
発売日
2017-09-25
ISBN
9784142230792
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『歎異抄』 2017年10月 (100分 de 名著) / 感想・レビュー

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西

初めて大乗仏教と上座部仏教があることを知った時、日本の仏教でブッダの教えからかなり外れてしまってるんだと驚いた。それで良いのかと。でも最近では、いかにして多くの人を救うかという点から、有りだと思うようになった。苦しんでいる人、悩んでいる人を助けたい、という気持ちの尊さ。歎異抄のなかに出てくる親鸞さんの言葉を読むと、思いあがってはいけない、という気持ちになる。

2019/03/16

カテータク

『歎異抄』の解説テキスト。浄土真宗の教えは、「信心が定まれば阿弥陀仏が救ってくださる」というもの。かなり乱暴に言えば「信じる者は救われる」これのみである。「エリートの宗教」とも言うべき原始仏教から始まり大乗仏教へ、日本では奈良仏教、平安仏教、鎌倉仏教と救済される対象は少しずつ広がっていくが、その中でも浄土真宗は究極の意味での「愚者、弱者の宗教」と言える。仏教らしい哲学的な部分は薄くなるが、「阿弥陀仏におまかせすればいい」という単純明快さは救いを求める大衆に対する宗教の在り方として非常に興味深かった。

2018/01/01

スミノフ

悪人正機説をずっと「意味不明」と思っていた私だが、本書にヒントを頂いた。人を善悪二元論で括れないという、人生への深い洞察に感銘。また、異を嘆くというタイトルに反して、人生への謙虚さが貫かれていることに、新鮮な驚きを覚えた。原書を読み、親鸞の人生にっいても学びを深めたくなった。

2020/06/07

Anthony

人生に本当に苦しまないと分からないのかもしれないなと思った。故に、良く分からず、すっと入ってこないまま読み終わり。この時代に、日々に追われ小難しいことを考えている余裕がない人、考える術すら得られずに生ききた人がどうやって宗教的な救いを得られるかを自ら考え、教えたということが素晴らしいことなのだろうと思う。表紙にもある「いかにいとほしふびんと思ふとも存知のごとく助けがたければこの慈悲始終なし」はそうだなと思いました。人を不憫と思ってもそれに対して人は無力であるばかりというのは往々にしてあるなと。

2018/01/07

なかむ

歎異抄の解説。親鸞の考えに触れるだけでなく、その捉え方やそもそも宗教とはから始まり、非常に為になった。どれだけ念仏を唱えても悟りが近づかない、そんな私でも救われるのだからという他力本願の考え方は思い上がらず常に自分を見つめ直すために生きそうだ。問いが内面へ内面へ向かう親鸞は、イデオロギーが乱立する現代だからこそ必要とされるのではないか?立ち止まって自分を見つめる、自分がいかに不完全なものか思い知る、だからこそ人は対話できるのだから。

2019/02/25

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