いま集合的無意識を、 (ハヤカワ文庫 JA カ 3-45)
いま集合的無意識を、 (ハヤカワ文庫 JA カ 3-45) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
2012年刊行の神林の近著。短篇を6つ収録。最後の手書き作家の世代(現在はもちろんパソコンで書いているが)に属するという神林が挑む、今新たに「個」であることの意味と可能性とを問い直したのが本書。表題作は、夭折した伊藤計劃へのオマージュだが、伊藤が庶幾して果たせなかった命題を、神林が切り開いていく決意を語る。神林は、ここで膨大なネットワークに絡み取られた我々に、「個」としての意識や思惟はほんとうにあるのかと問いかける。それは、言葉によって言葉を疑うことでもあるのだが、言葉使い師たる神林は「大丈夫だ」と言う。
2015/03/21
k5
雰囲気ではなく明晰な思考で書かれているので、とても読みやすい短篇集。『雪風』の深井零の少年時代を描いた「ぼくの、マシン」と「自・我・像」が好きでした。全体的にクラウドというものに違和感があるのかしら、と思わないでもないですが。有名な表題作は伊藤計劃の『ハーモニー』との対話なのですが、これに関しては意識の解釈がちょっと自分と違うんですが、それでも捨て曲なしの名作です。
2021/11/30
藤月はな(灯れ松明の火)
「ウィスカー」は『七胴落し』の幼年期版かな。共思考があったとしても人は結局は孤独。そして共思考があっても自己に閉じ籠り、相手を理解しようとしなければ、完全に分かり合うことは永遠にない。そして「切り落とし」のだんだん、自分がここに存在しているからこそ、感じている」自我と「思考している」自我が乖離していき、「統合または総体として」の自我を信じられなくなっていく様は、身に覚えがあるだけに怖かったです。(大変な時に理性が先立ち、対処した後で感情が追いついて泣いたりする自分に時々、気持ち悪さを感じているので)
2015/01/12
つきかげ🌙
意識と機械に関する短編集。最初の5つの短編については苦しいながらなんとかついていけた。最後の表題作については、著者から仮想の伊藤計劃に対するメッセージという形で、彼の2作の記憶が薄れている自分には理解がむずかしかった。1000年に1度の東日本大震災に立ち会えた作家としての幸福という記述にはなんだかなあと思ったが、SF作家としての素直な気持ちだったのだろう。あるいはそれも仮想の私なのかもしれない。
2019/03/06
おたま
『ぼくのマシン』『自・我・像』『かくも無数の悲鳴』『いま集合的無意識を、』はそれぞれ『戦闘妖精・雪風』のシリーズに緊密に結びついているように思う。もちろん『ぼくのマシン』は深井零の子ども時代、後の雪風との関係性の萌芽を描いたようなスピンオフ。そのように直結していなくても、やはり『雪風』で全面展開される様々な要素を、各短編が補足している。『いま集合的無意識を、』は、伊藤計劃『ハーモニー』に対するフィクションという形での神林長平の返答でもある。
2021/09/01
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