アーサー・ミラー〈2〉るつぼ (ハヤカワ演劇文庫 15)
アーサー・ミラー〈2〉るつぼ (ハヤカワ演劇文庫 15) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
1692年マサチューセッツ州セイラムで起こった魔女裁判を描く。ここでミラーは人物の整理などを行っているが、ほとんどは史実そのものを劇化する方法をとった。「わたし達はそういう迷信に頼ることはできません。悪魔は綿密です」―迷信の横行する前近代の話ではないのだ。人々は、魔女の告発を受けてしまえば、告白するかさもなければ嘘をついているとして処刑されるしかない。現実の事件では19名の処刑者と、6名の獄死者がいた。告発された村人は200名にものぼったという。そして、これらはすべて法の正義と神の名においてなされたのだ。
2013/03/20
harass
映画化されたのを見ていて読む必要はないかと思っていたが「セールスマンの死」が良かったので手を出した。17世紀アメリカでの魔女裁判をモデルにした戯曲。他人の妬みがまかり通り神の権威を後ろ盾にする正義の横暴。赤狩りの時代にやり玉にあげられた著者はまさに同じような状況だったと知り薄ら寒さを感じる。今の時代にも反論も許されない群衆の暴走は見ることがある。主人公にも弱みがありそこが実に人間らしい懊悩を感じさせてくれる。そこが単純な話にならない部分なのだろう。訳者あとがきにあるピューリタニズムの背景に唸った。
2015/03/22
藤月はな(灯れ松明の火)
「緋文字」の作者、ホーソンの祖父が関わっていたセイラムの魔女事件。アビゲイルのヒステリックな偽証や裁判官の頑なな姿勢、人々の利害関係の問題による混乱などにより、罪を被せられた人々の追い詰められた様子が悲惨すぎます。神の名を盾に取った客観性のない法廷によって神の加護を信じられなくなり、自分の命を救うために偽証すべきだと諭すへイルに対して自分の尊厳を守るために処刑されたプロクターの姿に泣きそうになります。特にジェイコヴスの処刑を伝える一文に「神様、なぜ、彼らを助けて下さらないのですか!」と叫びそうになります。
2013/03/18
兎乃
再読。電車に揺られながら、「試験管なり坩堝(るつぼ)なり檻なりの中に飛び込んで焼かれいじめられてその経験を歌い叫び記録するのである。」という寺田寅彦氏の言葉を思い出したり。...舞台は1692年マサチューセッツ州セイラム魔女裁判。人々の狂宴・熱狂、その愚かさと美しさと。今ではゴス娘達にとってセイラム出身が凄いステイタスになるという、第2場「夜の森」。赤狩りとマッカーシズムに対する批判をオーバーラップさせながら、この戯曲は戯曲としての完成度が素晴らしく高い。映画「The Crucible」も好きです。
2013/02/25
くさてる
17世紀に起きたセイラムの魔女裁判を基にした戯曲。正義の暴走と裏解説にはあるけれど、それはほんとうに正義なんだろうか。アビゲイルはただの恋する浅はかな少女だったんだろうか?プロクターの最後も含めて、わたしがキリスト教にもっとなじみがあれば、もっといろいろと感じることが増えた気がする。それでも最後までしっかり読まされました。良かったです。
2019/10/19
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