それをお金で買いますか――市場主義の限界
それをお金で買いますか――市場主義の限界 / 感想・レビュー
やすらぎ
世の中を蠢く全ての行為にお金が付き纏い、僅かなものだけがその空間から開放されている。善く生きよう。その志は影になり、市場主義の光に消されていく。精神の腐敗を負ってまで、金や欲に振り回される。このまま突き進めば自らの存在意義も失うというのに、この道は永遠のようである。時間も持続も金で買う。割り込み、強奪、利己心。生きていく中での自然の営みが人の力に崩されていき、誰も望んでいない果てへ連れていく。全ての保全や平等は困難だが、道徳心や精神性を高めることを忘れてはいけない。善さえも買われてしまうのか。生命さえも。
2023/10/07
Miyoshi Hirotaka
市場は必ずしも公共善を実現する理想的な手段ではない。臓器が売買され、公共施設の命名権が売られるようにあらゆるものが商品に変わるとき、何か大事なものが失われることがある。市場の問題は、経済問題というだけでなく、いかにして共に生きたいかという問題だ。何でも売り物にされる社会は望ましくない。市場が称えず、お金では買えない道徳的・市民善を尊ぶべきだ。先の大震災は、世界的な市場勝利主義のイデオロギーにもかかわらず、その限界と課題を感じ取り、ためらわずに行動で解決しようという本能がわが国民の心の中にあることを示した。
2014/01/22
ntahima
「えっ!アメリカではそんな物まで売り買いするの?」と驚く事例がわんさと出てくる。例えば、不治病患者の生命保険を割引いて買い取り、保険料を肩代わりする代り、死亡時に保険金を受け取る。患者も死亡するまでの治療費と生活費を得ることができるので、損をする人はいない筈と…。因みに、患者が一日でも早く死ねば死ぬ程、利回りも良くなる為、投資家は ひたすら患者の死を願うことになる。確かにどこか狂っている。タイトル通り、市場主義には限界がある様だ。但、この本は論の展開が余り見られない。『これ正』を先に読むことをお勧めする。
2012/10/21
molysk
健康、教育、安全といった社会善は、市場で取引できるものなのか?いや、取引するべきものなのか?たとえば、臓器の売買に反対する論拠は二つある。一つは、貧しい人が搾取されるという「公正」。もう一つは、市場での取引で失われる善と規範があるという「腐敗」だ。冷戦後の市場万能主義で、多くの社会善が市場の手に委ねられてきた。だが、善の価値をどのように測るのがふさわしいか、という議論は十分ではなかった。市場で売買されるべきものと、非市場的価値で律するべきものを、どう区別するのか。私たちは議論を続けていかなくてはならない。
2022/12/11
も
お金で買えないものといえば、感情や時間など目に見えないもの。しかし、今やそんなものまでお金で買えてしまう。列の先頭に割り込める権利、自分の代わりに謝罪してくれる会社、成績を良くするために生徒に現金を支払う学校。かつての常識では考えられなかったものがお金で買えます。お金さえ払えば煩わしいことを解決してくれるというのは、なにかと忙しい現代人にとって便利に違いないけれど、それによって道徳心や倫理などを失ってしまっては元も子もないなと。利便性と道徳、どこで線引きするのがいいのでしょう。色々と考えます。
2016/03/06
感想・レビューをもっと見る