やさしい訴え
やさしい訴え / 感想・レビュー
むぎじる
夫の暴力と気持ちのすれちがいから、発作的に別荘へ家出をする瑠璃子。別荘の近くにチェンバロの工房を構える新田と、その助手の薫と知り合いになる。瑠璃子は新田に心を寄せるが、心まで届かない。新田と薫の間には、「2人だけが了解している秩序」があり、何人たりとも踏み込めなかったのだから。所在ない瑠璃子の存在が悲しかったが、この静かな土地で羽を休めるような日々を送ったのは、一時の休息と羽ばたく前の準備期間になったのかもしれない。登場するクラシックを聴きながら、浮世から離れたこの静かな世界を思い返してみたい。
2013/05/08
ロッキーのパパ
小川洋子が描く登場人物たちの職業の描写が好きだ。今回はカリグラファーとチェンバロ製作者を扱っており、カリグラフィーのイメージやチェンバロの優しい響きが作中にあふれているようだ。小川洋子の透明感のある文体と相まって流麗なイメージが形造られる。新田さんと薫さんと過ごす別荘での暮らしがそれを象徴しているかのようだ。そこはまるで時間が止まった世界のようで、外界から謝絶された安らぎを与えてくれる。それを断ち切って、いや断ち切られて現実世界で暮らすようになった瑠璃子に、再開したチェンバロはどう見えたのだろうか。
2012/04/13
sheemer
悲痛なストーリーだった。言葉は自分になじむ、自然な語り口。紹介されていたチェンバロの曲を聴いてみようかと思った。
2019/04/11
ミュール
緑あふれた別荘地の落ち着いた雰囲気の背景に、カリグラフィーを仕事とする主人公やチェンバロ職人の師弟(男女)という登場人物の設定。とてもとても静かな美しい作品という印象で、心に傷をかかえながら触れ合う三人の魂が切なく、それぞれの存在が絶妙なバランスで成り立っているような不思議な関係。なんという繊細で静謐な世界だろう。小川洋子さんの描く世界観がとても素敵なので、他の作品もぜひ読んでみたい。
2017/05/24
うりこ
1996年「文學界」初出。〈「偉大なるカリグラファーと、チェンバロ制作者と、その卵に乾杯」「どんな調子はずれのチェンバロの音も聞かなくてすむ、年老いたドナに乾杯」45頁〉 繊細な楽器、チェンバロで弾く「やさしい訴え」の曲が、読んでいる間、ずっと聞こえているような気がしてならなかった。三人の記憶が触れ合い、お互いの奏でる音を邪魔せず、置かれた場所で置かれたかたちで鳴り出したかのよう。林の古い別荘、枯れ草を踏む音、長の羽の形の沼、湖、レコード、情景も、内面をあらわす行動も、丁寧に描かれていて、哀しく美しい。
2022/01/08
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