死では終わらない物語について書こうと思う
死では終わらない物語について書こうと思う / 感想・レビュー
nizimasu
日本人の死生観というのは生との間に大きな溝がある現在。かつては往生要集や浄土思想や修験なんかにもあの世とこの世が、天上だったり西海浄土のような物語が綴られ多くの日本人が信仰ではなく信じていたことがとても幸せに感じられる。著者の問題意識は「死後の物語」や「臨終の物語」が現代には届いていないこと。日本の往生譚を語りつつ現代人にとっての死の物語を語り続ける。その鬼気迫る筆致はいつもの文章よりも熱量を感じさせるもの。人類には「神話」が必要なのはジョセフキャンベルの説でも明白だけど現代日本人の「希望の物語」でもある
2015/10/02
coldsurgeon
死に関する情報はあふれているが、死に関わる物語は少なくなっている。物語とは、数多くの意味によって編み上げられた物語である。他者の死の語り・物語に耳を傾けることにより、自分自身が救われる。浄土という場所?をつい考えてしまうが、それは連綿と続く生と死の語られ続ける体系のの中にある。
2020/10/10
AR読書記録
父の死から続く法事のなかで、葬式仏教などと揶揄するようにもいうけれど、今死者は向こうでこのような状態にあるのだ、だからこうすればいいのだ、などというイメージや気持ちの持ちようなどを、死者を送り出す者たちに教えてくれるというのは、大切な機能だなと思った。そしてそれは見送る側だけでなく逝くほうにも、あってしかるべきものだとはしみじみ思う。阿弥陀の来迎もキリストの贖罪も、信じることで救われるというような、物語の形は違えど効用は同じであるようにも思った。既存でも新たなものでもいい、私は私の物語を見つけたい。
2015/10/11
hayatama
ふーむなるほど。釈和尚の語る「物語」に共感する部分が多いなと思ってはいたのだけれど、浄土真宗の僧侶でありながら宗教学者でもあるという、(本来は)体感すべき宗教というものを論理で理解しようとしてしまう、というところがあたしに似ているからかもしれない。あたし自身、仏教とは、イスラムとは、キリスト教とは、と考えがち。本書で数多く紹介されている、死を超えた物語にあたしも出会えるのだろうか?良書です。
2015/09/23
j
浄土があるかないか、ではなく、なぜ私にとってお浄土が必要なのか、という問いが先。この世ではない浄土があるからこの世を相対化できる。日本人だけでなく、死に向かうとき人は自分を見る絶対的他者を必要とする。本書では法然・親鸞以前の往生伝から始まり、法然・親鸞以後近世ですら平生業成ではなく臨終の場に往生が意識されることを確認する。絶対的他者を意識するのは、普遍的に死と向き合うときとわかる。
2017/03/27
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