デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化
デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化 / 感想・レビュー
春風
原題に見られるEnchanteは、魔法にかける、魅了するという意味。主体客体分裂的な隔たりを以って知を定義する現代社会に、主体客体のつながりを意識した融和的な知を取り戻そうと、ベイトソンを担ぎ上げ、ぶち上げた、一大パフォーマンス。西洋的“知”の変遷をパラダイムの形成に一役買った人物達を追いながら点検し、ベイトソン的全体論を持ち出しReenchantmentを提案する。主客融合的知はむしろ、日本の十八番であった筈なので、没入して、世界に参加するというのは、日本に於いては受容される素地があるのではなかろうか。
2019/10/02
tokko
たいへん興味深い内容なんだけど、難しいです。デカルトからガリレオ、ニュートンへと続く精神の疎外にあまりにも慣れてしまっているので、何となくわかってもそれをどのように活用していいのかわかりません。(その発想自体が近代的なのかもしれないが)でもこの本には現代の抱える難解な問題を解決する「何か」が書かれているように感じます。
2019/08/26
吟遊
80年代のポストモダンは「ノリが軽かった」。それよりは60年代のベイトソンのほうがよかった、と思えるかもしれないいまだからこその復刊。佐藤良明さんは巻頭コメントもさすが。だが、この本の内容、さほど目新しいだろうか?
2019/09/19
kentaro mori
噂には聞いていたが、とても面白かった。人類は科学を知り、何を得て何を失ったのか。ベイトソン入門にばっちり。⚫️人類の歴史の九十九パーセント以上にわたって、世界は魔法にかかっていた。人間は自らをその世界の欠かせない一部として見ていたのだ。わずか四百年余りで、こうした認識がすっかり覆され、その結果、人間的経験の連続性、人間精神の全体性が破壊されてしまったのである。そればかりか、地球そのものがいまや破滅の一歩手前まで来てしまった。ふたたび魔法をよみがえらせることにしか、世界の再生はないように感じられる。
2019/07/31
へのへの
読中、「エウレカ」っていう声が聞こえてきた。身体全体をこだましていた。ぐるぐるぐるぐると。そして、「私」の中に、落合陽一氏やきみょうなかっこうをした少女、金色の髪をした小さな王子さま、死体の断片を継ぎ接ぎしている青年、右腕と左足が機械鎧の少年と生きている鎧、さらに、日食や硝子のように透き通った伽藍、加えて、山奥の旧軍基地で向かい合う二人の少女や小島秀夫氏などの姿・形がぐるぐるぐるぐるしていた。そしてむろん、少女たちの中には、カメが、花が、渦巻いている。だから「私」は、伽藍の中の「くじら」の声に耳を澄ます。
2020/01/13
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