名前の日本史 (文春新書 267)
名前の日本史 (文春新書 267) / 感想・レビュー
KAN
名前をつける。人間の基本的な営みだと思うし、単純に親の希望とか、愛の結果として命名があるのだろうけれど、歴史に刻まれた「なまえ」はそう単純なものではない。だいいち、今の日本人の名前のつけかただって、明治以後に決まってきたのだし、だいいち記録にのこっていない人々の名前はその時代でどんな事情でつけられたのか、その真意をさぐるのは難しい。そしてその名前が人の人生を規定してしまうこともあると考えると、不思議な、しかし厳粛なものだと思っった。
2022/12/05
こだま
昔から変わった名前の人はいたのだ、何も今に始まった事ではないと感じた。
2016/03/16
めいが
明治創姓のとき、それまで姓を持っていた人(家)は1割だったという大騒動を知って驚いた。しかも急かされたんだろうな。そりゃあ佐原、浜地、魚シリーズにもなるよね。
2024/04/22
tacacuro
時代とともに、名前のあり方は変遷してきている。家という考え方は残しつつも、氏名をより「個人」を識別するものとして捉え直すことはできるんじゃないか。「選択的夫婦別姓」を主張するよりも、「原則生涯同一氏名」論の方が建設的だと思う。いずれにせよ、別姓夫婦の子どもの姓をどうするかがが論点となる。いっそこれからは、日本でもラテン圏のように、氏を両親からそれぞれ引き継いで、2つの氏を登録できるようにしてはどうだろうか。
2018/02/23
うたまる
日本人の名前についての論考。一つ一つのトピックがなかなか面白く、特に一郎次郎というような出生順を表す名前は日本だけの習慣だと知り驚く。また中華圏の俗信である辟邪(故意に汚い名前を付け魔除けとする)では、○○丸や○○麻呂は便器の”おまる”の意であることに衝撃を受けた。朝鮮では”犬の糞”という更にえげつない名前もあったとのこと。改名についてでは、我々が憧れるような由緒ある難字の名前の人が、逆に平凡な名前に変えたいと願っていることに苦笑う。まあ、言われてみれば流行のキラキラネームも大人になれば変えたくなるよな。
2016/04/24
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