金融恐慌とユダヤ・キリスト教 (文春新書 727)
金融恐慌とユダヤ・キリスト教 (文春新書 727) / 感想・レビュー
日の光と暁の藍
色々と興味深い指摘があるにも関わらず、その部分の議論の掘り下げがなされず、実に惜しいと感じた。例えば、アダム・スミスは、「神の見えざる手」と言っていないと著者は言う。スミスは「見えざる手」とは述べているが、「神の」とは述べていないと指摘する。では一体、誰の手なのか。この疑問の提示で終わっている。また、日本において市場の見えざる手の代わりをしてきたのが村落共同体だと指摘する。村落共同体は貧富の差の拡大を防止するシステムだ、と。厳密な議論でなく根拠も薄いが、著者が指摘することは興味深い点が多かった。
2021/05/04
むとうさん
先の金融危機を「100年に1度」ととらえるのは終末論的発想、公的資金が注入された金融機関のCEOが多額のボーナスをもらったのは「ノアの箱舟」的発想、マルクス経済学は終末論的発想から自由でない…確かに「現代(≠近代)経済学」はキリスト教圏由来。その思想にユダヤ・キリスト教的思想があっても不思議ではない。経済学と神学との類似性の指摘は興味深い。ただ、対比としてイスラム金融と日本の「共同体」的資本主義、が出てくるのは何かお粗末(特に後者)な感じ。一気に経済学・資本主義論まで飛ばすには紙面不足ではあるのだろうが。
2012/02/08
nizimasu
金融恐慌というより資本主義をマックスウエーバーの議論を中心に語っていて、新鮮さはないけど一神教的な点が資本主義とマッチングするのだなと思う。その一方で、経済が宗教すら規定する部分もあり、島田先生の議論とまた反転する部分もありそこは気になるところでもありました
2013/11/21
風見じじい
ユダヤ教と分派と言えるキリスト教はすべてを神がつくり支配しているという原理から、市場原理主義が生まれ、一方で終末論から資本主義が終り共産主義になるという考えのもとになっているという、西洋社会の根底にある原理の理解になりました。
2019/05/30
Kei
日本の企業の色(年功序列など)と外資系の特徴のちがいが宗教によるものというのが妙に納得。ユダヤ人がカリスマ性があるみたいなこともキリスト教が禁欲にのよるものなどなど、目から鱗であった。わたしが無知なだけなんですけど。これは勉強になりました。
2014/11/07
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