妻と私・幼年時代 (文春文庫 え 2-12)
妻と私・幼年時代 (文春文庫 え 2-12) / 感想・レビュー
うえ
千冊目。「「奥さんの御病気は、転移性の腫瘍です。それもかなり末期な状態になっています」…この寝息の一つが遠からず停止するということを、そしてそれがほかならぬ家内その人の寝息だということを、夫である私が家内に告げるのを「告知」というのだろうか」「遺骨を抱いて帰宅した私は、その夜遅く、済生会病院のY院長に自分の病状について電話で意見を求めた」追悼「あの日の午後関東一円を襲った雷雨の激しさは並のものではなかった…彼の自殺が彼の言葉たちと同じように…私的な主題による」よく覚えている。次日は晴れ晴れとしていたことも
2015/10/06
ダイキ
江藤淳の絶筆です。福田和也・吉本隆明・石原慎太郎による追悼文を併録。「私は、自分が特に宗教的な人間だと思つたことがない。だが、もし死が万人に意識の終焉をもたらすものだとすれば、その瞬間までは家内を孤独にしたくない。私といふ者だけはそばにゐて、どんなときでも一人ぼつちではないと信じてゐてもらひたい。」、「君が逝くまでは一緒にゐる。逝つてしまつたら日常性の時間に戻り、実務を取りしきる。そんなことが可能だと思つてゐた私は、何と愚かで、畏れを知らず、生と死との厳粛な境界に対して不遜だつたのだらう。」
2015/10/19
柳田
「妻と私」は、病に蝕まれた奥様との日々を綴った手記だが、追悼文をみて、いくら華やかな青春時代を過ごしていようとも、自分や身のまわりの人間の死に際しては、ごくふつうの悩みや苦しみをもつものだなと思う。まあ、もうちょっと読むもの読まないとピンと来ないかなって気はする。小谷野敦の『江藤淳と大江健三郎』は面白く読んだが、中身はあまり覚えていない。もっとも、私にはちょっと昔の人、という感覚で、時代的なものは全く共有できないし。まあ若死にしたのだけど... どちらかというと「幼年時代」のほうが面白かった。
2018/03/06
ピラックマ
失われゆく妻の生の時間、共に過ごす自身も看病疲れから敗血症を患い、寸での所で余命を得るも結局は脳梗塞を発症、もはや形骸であるとし自死した。石原慎太郎の追悼文によると死の直前、東京都現代美術館館長を依頼し江藤氏もやる気満々であったという。何故自死してしまったのか。書く行為は雑音を捨象し書いた事柄だけが深奥に固定化されてしまう。「妻と私」のあまりに切なく美しい書きっぷりを読んでいると、もはやあちら側へ逝くしかないよう自縄されてしまったのかもしれない。
2017/04/04
とんび
三年前に亡くした妻の思い出と重なり、とても心が震えた。吉本隆明の追悼記も素晴らしい。
2013/01/14
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