近代の拘束、日本の宿命 (文春文庫 ふ 12-1)
近代の拘束、日本の宿命 (文春文庫 ふ 12-1) / 感想・レビュー
ダイキ
福田和也が最初期に著した二編を収録。特に興味深かったのは自伝的な『「内なる」近代の超克』で、長谷川利行の洋画との遭遇により、「現在という時間と存在の、一種の証明」である「風景」を、現代の日本人は決定的に喪失、或いは初めから持ってすらいないということを悟り、絶望する、『日本の家郷』の原型的な内容であり、そのような根源的な「体験」を強いられた人であるからこそ、些細な事で失望するようなことがたとえあったとしても、私は福田和也という人を畏怖し続けずには居れない。絶望した者だけが人を真に救えるし、人を真に殺せる。
2019/08/31
Shun'ichiro AKIKUSA
日本人仏文学者がなぜテクスト生成をやるのか、について。しかし、なぜその文化は英米文学方面では育たなかったのか(最近まで、博論をそこまで求められなかったからだろう)。
2016/08/26
おサゲっち
自らの出自と立ち位置とを絡め、日本が対峙した「近代」。そこからの解放と日本の道しるべを示そうとされた巨大な試み。凄いの一言。
2016/01/28
Shinya Fukuda
ペリーが来航して開国せざるを得なくなり西欧化することによって近代化した日本、その到達点が大東亜戦争だった。開戦の翌年当代一の知識人達によって行われた対談が近代の超克だった。日本は西欧にも入れてもらえず、又、完全にアジアというわけでもない。孤独な実体でその中で個別性を発揮し、更に普遍化して行くにはどうすればよいのかという難問に挑戦しているのが本書だと思う。これまで挑戦してきた人に西田幾多郎、岸田劉生などがいた。曲がりなり回答した人として岡倉天心、内村鑑三がいた。途中から読み易くなるが全体的に難解だった。
2020/07/01
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