さんだらぼっち (文春文庫 う 11-5 髪結い伊三次捕物余話)
さんだらぼっち (文春文庫 う 11-5 髪結い伊三次捕物余話) / 感想・レビュー
ふじさん
芸者をやめたお文は、伊三次の長屋で女房暮らしを始めるが、どこか気持ちが落ち着かない。そんな中で、顔見知りの子どもが犠牲になる事件が起き気持ちが落ち込んでいる時に、隣の夜泣きする子どもが原因で子どもの母親に傷を負わせ、長屋を出て引っ越しすることになる。更には、掏摸の直次郎は足を洗い、伊三次に弟子が出来る。そして、お文にも新しい命が宿る。まさに、伊三次とお文の夫婦の物語である。色々難しいことは起きるが、なんとか二人には幸せになってほしい、そんな思い出で読み進む。まさに、自分にとっては、身につまされる小説だ。
2022/05/21
じいじ
いいですねぇ。髪結い伊三次シリーズは。本作の感動シーンは読み始めてすぐにやって来る。伊三次と少年と交わす男と男の約束。双方のカッコよさに男泣き、男惚れです。「下手人の家族を世間から守ってやるのも、町方役人の務めだ…」と親分の不破を諭す伊三次が恰好いい。お文の艶っぽい三味の音と澄んだ喉が長屋住人に歓迎される中で、時に心の内を風が吹き抜けていく虚しさに襲われるお文に愛しさを感じます。わけあっての別居は、二人の絆をより強くしました。そして、晴れて一軒家の新居へ…。まだまだ続きます、面白い髪結い伊三次の物語。
2016/02/28
Shinji Hyodo
桟俵法師(さんだわらぼうし)米俵の両端に当てる藁の蓋の事だそうです。これが訛って『さんだらぼっち』今回の髪結い伊三次シリーズのタイトルです。読んだ方は良くご存知かと思うのですが、江戸の町に起こる事件の数々は現在の日本に起きている事件に通じるものばかりで、子供の拐かしや虐待。大人の感情のこじれからの傷害や果ては殺人など…宇江佐さんは現在も江戸の頃も変わらずにあったであろう人間の本質を時に冷酷に、時に人情にまぶして優しく描く訳で、そういった諸々に包まれたくて読んでいる私です。
2016/02/23
佐々陽太朗(K.Tsubota)
己の欲望のために人を殺めてもと思う者が居る。一方、自分の大切な人のためなら己を犠牲にすることも厭わない者が居る。惚れた人と一緒にいたいから、己のこれまでの人生をうっちゃってしまう者も居る。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」 世の中、捨てたものじゃないと思いたい。
2013/02/18
ALATA
髪結伊三次、四作目。裏長屋に転がり込んだお文との新しい暮らしが始まる。 「差し向かいで飯を食い、湯屋に行き、お文を抱いて眠りに就く。何ともない毎日である」この何でもない日常が幸せなのだと納得。時間の流れの早い今より、江戸の人々の暮らし向がなんと心地よいことか。★4
2021/04/18
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