裏ヴァージョン (文春文庫 ま 20-1)
裏ヴァージョン (文春文庫 ま 20-1) / 感想・レビュー
たま
お互いを性の対象としている同士が何か行き違っても性行為によって一時的にでも事なきを得られることがあるのと違って(絶対では当然ないけど)、そうでない友達同士がすれ違う時は大変難しいと思いました。とはいえ友達同士でも密に関係し合う蜜月期もあれば相手にそれほど関心がなくなったりする時期もあり、それは何となく恋愛めいた関係であるけれど、でもそこに性は介在しない…いっそのこと介在させれば楽なのか、でも介在させればさせたで新たな問題はきっと出てくるだろうと思うので、人間関係とは答えのないものだと改めて感じます。
2015/02/12
jamko
松浦さんの新作読む前に過去作もちょっと読み返したいなーと本棚から引っ張り出してきた。多分10年ぶりくらいに読むけど松浦さんの小説のオリジナリティには毎度ノックアウトされる。性を意識しつつもその介在を許さず、しかし互いに執着する関係のややこしさと特殊さ。それが一周回って物語の普遍性に繋がることに驚嘆する。人と人が精神的に結びつく難易度の高さ、それでもそれを手に入れたいと願う気持ちの純度に、気持ちがかき乱される。忘れたふりをして生きている。年齢を重ねれば重ねるほど胸に刺さるかもしれない、と思った。
2017/04/30
不在証明
作中作は好きじゃないなと読み進めるうち仮想アメリカ編が終わり日本の私小説風になるあたりからは俄然面白く。友情とか友愛とか。抽象的な表現だけど、手法があらかた出尽くした後に、まだ試していない手がひとつあることをお互いが分かっていて、でもそれは禁じ手とまではいかないけれど破滅へ向かうと薄々だけど絶対と確信しているから、それには手を出さない。私がいるじゃない、って臆面もなく言えるほど、面の皮は厚くないし賢くないわけでもなく。あと「バージン・ブルース」って戸川純の曲かと思ってて原曲は野坂昭如とは知らなんだ。
2016/04/10
あ げ こ
互いへの拘りを、意外なほど、熱く、切実な愛着を、その奥底に秘めた、言葉の応酬。捻じ曲がり、武器と化した言葉、ぶつけ合い、相手の本心を、抉り出そうとする。それはまるで、肉体を用いる交わりを拒んだ自分たちの、交わらぬ繋がりを選んだ自分たちの、深く、曖昧な関係性を、確かめるために、繰り返しているかのよう。痛みの暴き合いは、性行為、或いは、それに付随するじゃれあいのような、気恥ずかしさを伴う。寒々しい軽口、だが、そう言わざるを得ない、屈折と、躊躇いが、可笑しくて、恥ずかしくて、少し、微笑ましい。
2014/11/10
rinakko
再読。『最愛の子ども』と繋がりがあると知り、手に取った。なるほどここか…とはっきり指せる箇所もありつつ、何とも名付け得ぬ(名付けなくてよいのだが)交わりを描いている点では、この3人はあの3人にも繋がっていくかもしれない…と読める部分もあった。そして、ひりつくほどの応酬は流石だ。昌子には見えていなかったことを、見せてやりたい。
2018/09/15
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