塩一トンの読書
塩一トンの読書 / 感想・レビュー
アン
須賀さんが案内する読書の世界。須賀さんの真摯な読書の向き合い方から、気付きや学びが多くあり、幅広い教養の深さにより、心の機微をとらえる眼差しには慈愛のような温かさが伝わってきます。アントニオ・タブッキやナタリア・ギンズブルグの作品、『細雪』等に関する鋭い考察や柔軟な思考。「人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」結婚されてまもない頃、姑に教えられたという言葉は印象的です。数々の書評に盛り込まれた須賀さんの思い出は郷愁を誘い、生き方まで優しく導いてくれているよう。
2020/07/10
コットン
うしこさんオススメのいろいろな本紹介のエッセイ。本紹介の前に、塩一トンの読書という章で「こうだと思っていた本を読み返してみて、前に読んだときとはすっかり印象が違って、それが何ともうれしいことがある。」というほどの本読みでもある著者を私が初めて知ったのはタブッキの『インド夜想曲』の翻訳からでそのタブッキのことや、谷崎の『細雪』における雪子の平坦な物語性と妙子の高低の多いドラマ性の比較があったりして興味深い。そして時折著者の身内の面白話で和ませてくれ、ただの本紹介で終わらないあたりに親しみが持てます。
2014/12/13
積読亭くま吉(●´(エ)`●)
★★★☆要再読・どの書評もエッセイも、細やかな愛情と柔らかな感性で深く丁寧に語られ、苦手なハズの作家さえ読み直してみようかとさえ思う。再読しても著者の書評の深さが、本編より優れている気がしてくるんじゃなかろうか、そう思ってしまうくらい、心地よく活字が言葉を紡ぎ連ねていく。子どもの頃読んだ「海底二万海里」は著者が言う程夢中になれたっけ?10代の中頃、内容も理解出来ぬまま、ただただ読んだ古典…読み返してみる?フェリーニも古典も、どうして私はあんなにも背伸びシテたんだろう
2015/05/07
emi
自分が学生の頃読んでも、それは筆者が言うところの「素手で本に挑もうとしている」状態で、何ら身にならなかったと思う、須賀敦子さんの書評集。曰く、自身の成長に合わせて新しい襞を見せてくれるのが、すぐれた本であり、古典だと。一人の人を理解するには、塩一トンを消費するほどの時間がかかる。それと同じほどの理解の難しさを感じるのが古典。その主張をふまえて紹介される数々の作品は、どれも一筋縄ではいかない。特に翻訳からアイデンティティについての考察には唸った。書評で知ったつもりにならず実際に読む。塩一トンの時間をかけて。
2015/04/30
天の川
冒頭の文章から心が震える。姑の「一人の人を理解するまでには少なくとも1トンの塩を一緒になめなければならない」という言葉に、本(特に古典)もそれと同じだと言われる。年月のうちに読み手自身が変われば、すぐれた本ほど新しい顔でこたえてくれると。以前、読友さんが50歳になったら大好きな本だけを繰り返し読もうか…と書かれていたとき、“いやまだまだ早い”と思ったけれど、新しい本を読むのに追われ、何度も読み返すことがなくなっている自分はただ「すじ」追っているだけなのかもしれない。とは言え、須賀さんが紹介される本の多彩⇒
2015/02/20
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