私のエッセイズム: 古井由吉エッセイ撰
私のエッセイズム: 古井由吉エッセイ撰 / 感想・レビュー
踊る猫
極限まで行き着いた明晰さに息を呑む心地がする。古井由吉はここまで孤独に思索を鍛え、言葉をぎりぎりまで深く紡がんと「粘る」人だったのか、と。古井由吉の最良の理解者によって編まれたこのエッセイ集はまんべんなく彼が生きた時代/キャリアを概観できる作りになっていて、この作家の変わらない「粘り」のあり方を堪能できるようになっている。ドイツ文学や日本の私小説から学び、そこに彼自身が生きた過去/歴史を盛り込み、彼にしか編み出せない「憎しみ」の作業を作り出した。彼は現世と隔絶しているようで、実は俗人でもありうるのも面白い
2022/01/07
ロータス
古井由吉にとって「書く」行為とはなんだったのか。少なくとも随分つらい行為であったことは分かる。本書を読み、氏がこれだけ考えに考えて作品を生み出していたのかと驚いた。と同時にエッセイと小説を区別せず等しく力を注いでいたと知り目を見張った。氏にとってエッセイは軽いものではなかった。創作秘話の他ではカフカの読解が面白かった。堀江敏幸の解説も素晴らしい。
2021/02/27
tetekoguma
演劇系の読書会で取り上げられた作家古井由吉のエッセイ集。文学研究者としてキャリアをスタートしブロッホやムージルの研究をしていたとのことですが小説家としての作品は透明感高く幽玄です。死者や幽界を強く意識した作風と透徹した論理力が印象的でした。エッセイは謎めいたところはなく論旨明快です。
2022/07/03
3J28
「杳子」は掛け値なしで「あいだ」の文学であるが、古井自身が、現実とフィクションの「あいだ」で、それを強く意識しながら彷徨っていること。3月10日の、幾度にもわたる分有。それはたしかに現在であるが、永遠の現在でもある。死者も、同時的な可能世界にいる私も交叉する「辻」のような場所に、古井の文学は屹立する。彼の苦渋ともいえる文学という営為に、すこしでも触れられた気がする。
2022/03/07
感想・レビューをもっと見る