イデオロギーの崇高な対象
イデオロギーの崇高な対象 / 感想・レビュー
Aster
まともな本ではない、テーマがあっちこっち行く上に言い換えで何ページも稼いでるようにしか思えないところもある。でも面白いですよ、というかこれが、こういうスタイルがジジェクなんだから…ねぇ?ラカンの思想を追うなら『ラカンはこう読め!』の方が良いと思うけど、社会批判を軸にしたラカン運用+ヘーゲルマルクスカントetc…が好きなら断然こっちかな、でもやっぱり長い…まぁ長さに2種類あるなら「悪い」長さと言うべきものなんでしょうか(笑)
2021/04/23
mstr_kk
3回目です。とても面白い本なのですが、とにかくこの本はつかみづらい。それぞれの箇所で「何について論じているのか」、そして論が「どうつながっているのか」を、読み手の側で注意しながら補っていかなければならないからです。今回はそこに注意して読んだので、いままででいちばん分かりました。全体としては、ラカンの「現実界」の理論が何度も何度も反復されます。その中で、「象徴界の構造」→「象徴化の過程とその残滓」→「現実界の逆説的性格」→「現実的なものと関わる主体の構造」というふうに話がだんだん進んでいくのです。→
2015/01/13
Z
け、二次イデオロギーに人が同一化するメカニズムをラカンのクッションの綴じ目の理論を使って説明するのか、ただクッションの綴じ目を説明するのか主役がわからないのだが、とにかく主体と民主主義という言葉(象徴界)、その言葉で示される内実たる第一次イデオロギー(現実界)、二次イデオロギー(想像界)との関係を説明するのだが、精神分析の同一化の問題となる。同一化には想像的同一化と象徴的同一化がある。ファッションを例をあげると異性の目を惹くためにお洒落しようとし、構成したファッションのイメージを想像的同一化、相手にとって
2018/03/29
Z
がイデオロギーだという。このような現実の基盤をイデオロギーと呼び、通常我々がイデオロギーと呼ぶような想像的なものを幻想と呼び幻想はイデオロギー(現実)から派生したものだという。例えば民主主義と言っても、具体的に男女差なり貧富の差なり人種差別なりがあり、それを乗り越えようとする運動として様々な幻想(ややこしいこで二次イデオロギーとでも呼ぶ)が生じる。現実の民主主義を保守的民主主義とするとフェミニズム的民主主義やマルクス主義的民主主義、自由主義民主主義など民主主義という言葉を巡り様々な派閥が乱立する。これを受
2018/03/29
Z
ヘーゲル、ラカンを通してイデオロギーについて考察する本。だが、よく分からない。後半ヘーゲルの解説になってイデオロギーとの関係が全くわからないうえにすごく難解になった。わかるところまで要約するとラカン、マルクスからイデオロギー=症候というテーゼをつくりイデオロギーとは知性、想像に関するものでなく行為に関するものだと定式化する。敷衍すれば民主主義とは金持ちも権力者も名もなき人も抽象的に平等にする思想ではなく、選挙制度(一人一票)による政治家の選び方なり試験による(身分を問わない)平等な官僚の選び方といった制度
2018/03/29
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