悪魔礼拝 (河出文庫 126E)
悪魔礼拝 (河出文庫 126E) / 感想・レビュー
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悪魔という存在や概念、黒ミサの様式や歴史を語る上でギリシャ神話、キリスト教、グノーシス主義辺りは矢張り切っても切れない要素。一番興味深かった章は「悪魔の世俗化」。文明文化の発達は個人的な悪魔(サバト)を絶滅せしめたがその瞬間から社会そのものが一個の巨大なサバトと化した、社会はいつの世も上等な悪魔と悪意を求めている(悪を求めるのは寧ろ善なる側であり反面教師としての悪を求めている)。悪魔というのは誰の内にも住まう超個人的なものではあるがそれが内から世に溢れ出すとそのまま悪となりアートとなり美となり秩序となる
2018/03/22
eirianda
なんだかんだ言っても、意識下では西欧にも古代信仰は完全に消え去っていないのだな、と思った。古代信仰の大地母神が悪魔の役割を担っていると。今では何にでも交換可能な経済が幅を利かせているので、悪魔は消滅したのではなく、悪から縁遠いように見える変化可能悪魔が急に襲撃してくるという。
2014/01/21
紫
昭和47年初出(昭和49年に初単行本化)ということで約半世紀前に書かれたもの。古代から近代の文学の中まで、西洋における悪魔観のおさらい本であります。悪魔崇拝のエピソードをふわっと期待して読んでみると難し過ぎてチンプンカンプン。これから読もうという方は御注意ください。魔女狩りのサバトといえば妄想の産物、拷問による捏造という説明が常識的ですが、まるで歴史的事実のように取り上げて象徴的意味を解読していてびっくり。これが半世紀前の通説だったのか、それとも当時の悪魔観ということでの紹介だったのでしょうか。星3つ。
2022/07/18
SKH
カルト、ファンタジーのネタ本。悪魔は何かと不憫。
2017/03/31
またの名
この著者にしてこのタイトル。いかにも淫猥なおどろおどろしい世界が繰り広げられそうだけれど(実際そういう内容)、キリスト教の論理の倒錯的対抗物が発生してくる様や現代に悪魔の形象が氾濫する光景などを論証する鮮やかさは、博識に支えられて非常に精緻。「ルーダン修道女の悪魔憑き」のスキャンダルは、昨今の劇場型犯罪を見つめる人々の熱狂を思わせる。トーマス・マンのヴェネツィアに巣食う悪魔を指差す著者の精神には、間違いなく狡猾な反逆者に似た悪い何かが宿っている。
2013/08/20
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