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闘争のエチカ (河出文庫 は 5-1 BUNGEI Collection)

闘争のエチカ (河出文庫 は 5-1 BUNGEI Collection)

闘争のエチカ (河出文庫 は 5-1 BUNGEI Collection)

作家
蓮實重彦
柄谷行人
出版社
河出書房新社
発売日
1994-02-01
ISBN
9784309404080
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闘争のエチカ (河出文庫 は 5-1 BUNGEI Collection) / 感想・レビュー

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しゅん

「具体的な体験を欠いたイメージを共有する場」として「共同体」が二人によって否定される。共同体から相対的に離れるのではなく、イメージに還元できない体験を生きる「絶対外国人」であることが称揚され、共同体の言語を異形の外国語に変えるものが「小説」だと定義する。この意味での「小説」を擁護する。しかし、この二人はどこかで噛み合ってない。吉本隆明を蓮實が「笑える」、柄谷が「みじめ」だと言うところに、差異が出ている?むしろ、「愛」という言葉を蓮實が口にすると柄谷が戸惑うどころだろうか。「反復」の感覚は掴めていない。

2022/05/31

なつのおすすめあにめ

半分も理解できないと予想していたが、吉本隆明と村上春樹と三島由紀夫の悪口で盛り上がっているのはイメージ通り。「はじめに」に書かれていた元「天使」という表現は『バイバイ、エンジェル』を想起させるも笠井潔の名は見当たらなかった。88年と89年の問題は今も有効か?ハスミンはデリダの文体を不快だと言っていたが、あずまんがYouTubeの配信でハスミンの文章は好きではないと言っていたので、なんとなく繋がっていたのは面白い。筒井康隆と阿部公房を並べて村上春樹を批判しているって、逆に認めているような気がしないでもない。

2024/04/19

「装置でありながら、何の装置だか使用法がわからないものとして小説が存在しているのでなければならない。そして批評家は、その目的や使用法を心得た人間ではないはずです。ましてや、装置を解読する装置が批評なのでもないでしょう。小説という装置は、おそらく小説家にとってさえ、それが何に役立つか見当もつかない粗暴な装置であり、であるが故に、小説は自由なのです。批評家は、使用法もわからぬままにその小説を作動させる。それが小説を擁護するということの意味なのだと思います。」(蓮實重彦の「あとがき」より)

2015/03/29

bittersweet symphony

手元にある94年初版本のものすごい久しぶりの再読。彼らが語っているような、共同体の内部に居ながら共同体の内外の対立の図式(それらはどちらも共同体のシステムに包摂されるものとしてある)とは隔絶したものとしてふるまう事を、自分は吉本隆明から咀嚼している。その立ち位置から見ると、特に柄谷行人の吉本隆明への反感というか侮蔑がどこから来るのかに興味があるわけだけれど、柄谷の「共同幻想/対幻想」や「自己表出/指示表出」への論難は自分の立ち位置を確保するための意識的な誤読のように見えてくる。

2021/05/05

ATSUMI

★★

2015/03/30

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