サド侯爵夫人 朱雀家の滅亡 (河出文庫 み 15-2)
サド侯爵夫人 朱雀家の滅亡 (河出文庫 み 15-2) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
【朱雀家の滅亡】登場人物も少なく、舞台も一貫して朱雀家の中だけで終始する一見地味な劇である。エウリピデスを典拠として書かれ、劇構造もいたってシンプルなものであり、それぞれの人物たちも役割がきわめてはっきりしている。すなわち、「何もするな。何もせずにおれ」、「ただ滅びよ」と語る朱雀家の当主、経隆は"喩"としての天皇であり、母おれいは"地"であり"血"の継承者である。また、経広は英霊として奉げられた"贄"であり、瑠津子は巫女にほかならない。そうした彼らが展開する劇は見事なまでにドラマティックである。
2020/11/17
優希
『朱雀家の滅亡』のみ読みました。三島文学の美学が詰まっているような気がします。様々な身分の者たちが滅んで行く流れが、無残でありながらも美しい。戯曲でありながら、小説の世界観を凝縮しているような印象を受けました。
2017/08/07
ちゃっぴー
サドにまつわる女性6人だけが登場人物。彼女たちの会話だけでサドの人物像が浮かび上がってくる。悪徳サドに対し貞淑を貫いたルネだったが、彼が獄中で書いた小説を読み「ジャスティーヌは私です」と言い、自由になったサドと別れる決心をする。「朱雀家の滅亡」と共にきらびやかなセリフにクラクラッです。
2017/06/23
かごめ
「サド侯爵夫人」サド侯爵をめぐる6人の女性の強い個性がせめぎあう会話劇。貞淑・官能・モラル・善美…女があろうとする自分とありたい自分、現実の自分と他の女との会話を通して向かい合う。「朱雀家の滅亡」天皇家に忠節を尽くした朱雀家の最後の当主朱雀侯爵とサド侯爵夫人が重なる。夫人は自分を「サドは私だった」と言った。夫のサドの「悪徳の栄え」を読んだあと、「ジュスティーヌは私です」と言った。終戦前後の旧体制が崩壊し価値観が覆される。朱雀侯爵を支えていた朱雀家という誇りと血筋が絶たれた終戦後朱雀侯爵は →
2015/01/22
李孟鑑
サド侯爵の生涯と人間像を描いた作品ですが、サド本人は全く登場しません。サドとゆかりのある女性たちの台詞によってのみ、その人間像が描かれていきますが、直接描く以上にサドの存在感が色濃く感じられます。こうした変則的な表現は戯曲ならではといえるでしょう。三島はオーソドックスな小説の形態から離れ、自分の美意識、美感を純粋培養した作品を作りたがっていたようですが、その理想にかなり近づいたのがこの「サド侯爵夫人」といってよいと思います。……(続く)
2015/01/14
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