セバスチャン (河出文庫 ま 1-2)
セバスチャン (河出文庫 ま 1-2) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
初期長編。物語の語り手である麻希子も、工也もマゾヒスト。お友達の律子はレスビアン。麻希子が憧れ続ける背理は美貌のサディスト。そして、タイトルのセバスチャンは殉教者の聖セバスチャンから。もっとも、彼らにとってセバスチャンはマゾヒズムのシンボルのようなのだが。こんな風に書くと、エロティックで隠微な小説めくが、実際は明るく、硬質で、そして何よりも観念的な小説である。彼らは共通して目的を喪失している(少なくともそのように見える)のだが、刹那的な行動もまた観念から導かれているようだ。倉橋由美子を思わせる文体。
2015/08/17
なる
浮世離れしている、という表現では陳腐かもしれない。俗っぽさがない、という表現もまたべたついている。透明感のある、水色のフィルターで通したような静脈っぽい物語で、人物描写においても低体温。友人の女性に服従に近い忠誠を誓う女性の主人公、登場人物も女性が多く、それもまた疑似恋愛のような感情を楽しんでいるようでどこか浮遊している。自由奔放なようでいて人の感情に敏感なバンドマンとの絶妙な距離感、坂道を転がるレコード、最後の閉じ方に至るまで全てがリリカルで、それでいて刹那的な危うさがある。だからいい。それがいい。
2022/02/11
巨峰
一番遠いものが一番近い。純粋かつ残酷。そして震えるような寂しさ、孤独のままに置き去りにされるラストシーン。現代日本文学の古典というべき作品。オススメです。中高と他者とうまく交われなかった主人公の女性は大学で美しい同級生の女性と出会う。その女性に従属し、物として扱われることで、彼女の世界は開かれていくのだが。。。それは決まりきった形で、成熟した人間関係ではないかもしれない。だけども、交われる人があるという幸せ。喪失してしまうかもしれないという恐怖。万人に理解できるとは思わないけど、お勧めです☆
2010/10/28
うめ
性欲とは、食欲や睡眠欲と共に生き物の根幹を為す欲求、でなければならない筈だった。ネオテニー。成熟した大人のフリをして、子供のまま大きくなってしまった人間にとって、性とは、肉体から湧き出る狂おしい感情では無くて。玩具や遊戯の延長、と捉えているふしもある。だけれどもそれを哀れな事だとは思わない。情を生々しく交わし合わなくても愛しい人との言葉のやりとり、柔らかな抱擁でも満たされる可能性も秘めてあるのだから。ラストに向けて治りかけの傷を剥くような痛みが襲うものの。桜の下での抱擁など視覚的に美しい描写が印象的。
2015/11/19
那由多
同級生だった背理と「主人と奴隷」ごっこの関係を続けている麻希子。そんな麻希子の心に“身体的不自由”を武器にした少年が入り込み、やがて友人律子を巻き込んで三人の充足した日々が始まる。未分化なセクシャリティに踏み込んでいる。
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