サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+ 東浩紀アーカイブス2 (河出文庫)
サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+ 東浩紀アーカイブス2 (河出文庫) / 感想・レビュー
ころこ
解説で濱野智史は著者の仕事を①哲学②サブカル③情報社会論の三つに分類しており、本書は③の主著にあたるといいます。しかし、インタビューで著者自身は、②と③は同じ本として出版される計画であったと回想していて、『動ポモ』と表象文化的な本書が、じつは同じ問題意識から出発しており、いずれ統合される予定だったことが語られています。例えばキャラクター論は、複製技術の発達した中でアウラはどう成立させることができるのかという問題だと考察されています。人間と動物の二層構造として社会を捉えているこの構想は、『観光客の哲学』で見
2020/05/17
しゅん
言語(象徴界)がイメージ(想像界)を統治する世界の統一感が不全を起こし、イメージと言語の区別がつかない状態が段階的(70年代と90年代)に訪れる。筆者は前者を映画の知覚、後者をコンピュータの知覚に代表させる。スピルバーグのSFX、日本のアニメ、村上隆の作品などは後者の感性に基づいており、この変化を自身の問題としてとらえたのがディックの小説であるという整理。「サイバースペース」の空間的比喩は、世界の統一性の崩壊を代補する機能を担う。ラカンを批判したデリダの理路を、情報社会の到来と結びつけた論考。
2020/12/25
ミズグ
サイバースペースの論文の主題である情報論的ものが象徴界の代補をしたことはなにを意味するのか、について濱野氏の解説がすばらしく明瞭である。メディア理解をめぐる概念を空間的と速度的とどちらの観点からとらえるかで理解の本質のとらえどころが変わる。 情報メディアの可能性の中心はポストモダン的なネットワークにありデータベースの共有が象徴界の代補となりうる。そしてその情報メディアによる複数的な無意識への解放による社会設計への構想へと繋げる。本書は主論文以外にもさまざまな論考や対談が収められ、極めて濃密な一冊である。
2014/09/28
mstr_kk
東さんの本の中で、『存在論的、郵便的』の次に好きかも知れません。全体的に「象徴界のはたらきの弱まり」が主題となっていて、「東浩紀によるラカン」といった趣きもありますが、論点の提出と整理の仕方が手際よすぎて、初めて『存在論的、郵便的』を読んだときの衝撃を思い出しました。参考になる議論が山ほど詰め込まれていて、今後何度か読み直す必要があると思っています。
2015/01/16
madofrapunzel
★★★★★ 間にある三本の小論文を読んだ。「デリダと形式化の諸問題」については特にハイデガーの議論がとても分かりやすくまとめられ、非常にスグレモノだと思う。後半の対談も読む予定。
2014/02/25
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