郵便的不安たちβ 東浩紀アーカイブス1 (河出文庫)
郵便的不安たちβ 東浩紀アーカイブス1 (河出文庫) / 感想・レビュー
ころこ
解説で宇野常寛が強調しているは、著者の哲学的な仕事とサブカル的な仕事が同じ問題意識に貫かれているということです。哲学的な仕事を第1期とし、サブカル的ゼロ年代批評を第2期、両者を統合した批評誌『ゲンロン』から現在が第3期とすると、両者の決裂により宇野の見通しが悪かったことになります。現在では、哲学の仕事とサブカルの仕事は緩やかにゾーニングされていて、読める読者だけ両者の横断的な問題を発見する仕掛けになっています。本書を現在読むと、読者が限られていた第1期は郵便的誤配により開かれていて、サブカルに開こうとして
2020/04/08
しゅん
「ソルジェニーツィン試論」再読。ナチスによる強制収容所と違いソ連の強制収容所(ラーゲリ)には、「ユダヤ人だから殺された」といった理由付けのない、確率的でしかない悲惨がある。素朴に思えるソルジェニーツィンのテクストや発言は、確率的であるが故の「根源性」の欠如として読まれなくてはいけない。そこでは、「文学」と「政治」の二項対立も意味をなさず、カフカのように根源を探る中で非根源にたどり着く作家の逆側に位置している。「確率」に対する著者の感度は、『訂正可能性の哲学』におけるビッグデータ統治制度の批判に通じている。
2023/10/16
kthyk
90年代、哲学のトレンドが構造主義/ポスト構造主義から分析哲学やリベラリズムへとシフトする。著者は文化の消費者は郵便的不安に取り憑かれたという。意味を担うものとしての記号が伝達されていくうちに、本来、そのメッセージの受け手として想定されていなかった人によって、全く異なった意味に解されることもある。オリジナルな意味が無くなり、誤配という亡霊に取り憑かれ受け手は苛立つ。ポストモダンの「大きな物語」の終焉は、各人が歩いている(方向=意味)を指し示してくれる「物語」の確かさに確信を持ちきれず、郵便的不安を与える。
2023/03/03
しゅん
東浩紀20代の評論集。現在のゲンロンの活動に至るエッセンス、批評を批評そのものとして、それこそミステリー小説のように快楽的に楽しませるという意識が強く現れている。一貫したテーマは感じるものの、ソルジェニーツィン論、SF論、エヴァ論、言論界の状況論、それぞれに違った魅力がある。大きな物語/小さな物語の対比など使い古された議論も中にはあるが、SFを近代西洋という父を失ったハムレットだとする「思いつき」などは今読んでも十分に刺激があった。時々入る自分語りの情けなさがいいグルーヴを出している。
2017/04/12
白義
ソルジェニーツィン試論が大傑作。これ書いた時ボクより年下か。今の東浩紀のモチーフがすでにかなり出揃っている。根源的な状況と、具体的な回答への執着や生と言葉の確率的ランダムさへの洞察は、デリダ論にも共通するモチーフだし、そのまま思想地図β2の序文へと繋がる問いを提出している。一部の状況論的三編も気に入った。日本のポストモダン思想を、ソーカル事件も引き合いに出しながら見事に整理している。アニメから哲学まで、何がそれを可能に、そして不可能にしているのか、その条件を探求する、というスタイルが一貫していた
2012/03/06
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