邪宗門 下 (河出文庫 た 13-13)
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邪宗門 下 (河出文庫 た 13-13) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
大日本帝国はポツダム宣言を受け入れ、戦争は終結した。しかし、それに代わって民主主義の世の中、自由な社会が実現したわけではなかった。相変わらず、国体は護持されていたのである。混乱の続く教団は、阿礼の破滅へ向かう衝動に動かされ潔を第3代教主に選ぶ。彼は極めて有能ではあるが、宗教者ではなかった。潔の暗くニヒリスティックな情念は、教団を核に蜂起へと突き進んでいった。後半は圧倒的なばかりの迫力で怒涛の如き展開を見せる。凄まじいパワーであり高揚感を伴うが、それが「終末」への道程であることは、潔や阿礼にも、作家にも⇒
2022/05/06
ひろし
下巻は一気読みしてしまった。人の、特に集団での行動の恐ろしさ、悪魔的側面が真に迫って描かれている。満洲の教団員による開拓村が終戦で危なくなり決死の逃避行に賭けるが、ほぼ全滅してしまう様子は無念である。日本軍は住民を置き去りにし、懇意だった近所の中国人にも裏切られたことが恐ろしい。もう一箇所、宗教裁判のシーンも印象的。誤った為政者を糾弾しようと広場で行事として始めた裁判が群衆の興奮で暴走し悪魔が現れる。また、最後の戦闘シーンはオウム真理教を想起させ歴史は繰り返していることになる。宗教者の心中は平和ではない。
2024/06/11
キャンダシー
あまりにも美しすぎるフィナーレ。邪宗門って何だと思う?人間の心だよ。ニヒリストの千葉潔は、絶対的な神を希求しながら、虚無の深淵の中へ飛び込むしかなかった。それが自己処罰という救済の宿命だったとしても。そして宿命自体であった行徳阿礼も千葉潔とともに、お筆先の「六終局」をすでに魂の戦場において完遂していたのではないのだろうか。自分を愛せない者同士が、理性を逸脱した倒錯の論理と美しい琴の音が交差するその刹那に、内面の虚無を純粋な愛にまで昇華して、ゆくりなくも神を顕現させた痕跡を見たことは、私にとって僥倖だった。
2021/01/11
こばまり
今はただ、どえらいものを読んでしまったという気持ち。これは小説であり思想であり観念だと思いました。発表当時、全共闘世代の学生がこぞって読んだというのも頷けます。作者高橋和巳の母が傾倒していた天理教を一部モデルにしているそうですが、現代に生きる我々には依然記憶に新しい、ある宗教団体を想起させます。
2015/11/12
たかしくん。
年末年始を跨いで、漸く読了。下巻は、宗教なる1つの理想に向っていくことの狂気をこれでもかと描き続けます。上巻での理屈っぽい文体は減り、逆に思わず目を背けたくなる現実離れした場面も、まま現れてきます。思うに後半の主人公は、語り手でもあり幾分冷静な目線で接する「阿貴」ではないかと…。意外にも、前評判の(?!)千葉潔と行徳阿礼の究極の愛と狂気は、終盤の僅かに100ページにも満たずでした。とにかくもこの作品が、現代日本文学において「豊穣の海」に勝るとも劣らぬ、日本語の表現の極地を示しているものと確信してます。
2018/01/03
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