教養としての宗教事件史 (河出文庫 し 24-1)
教養としての宗教事件史 (河出文庫 し 24-1) / 感想・レビュー
きゃれら
僕らの年代にとってはオウム真理教をめぐるスキャンダルで記憶に残る島田氏。宗教とは、本来スキャンダラスなものと冒頭から断定し、素朴な古代宗教から最新型の新宗教までとてもわかり易い49のトピックスで宗教事件史をまとめている。宗教がらみとされている大事件直後でもあり、今こそ読むべき好著と言っていいのでは。第二次大戦後の創価学会の勃興の話とか興味深かった。自分は宗教のことを個人の心の問題と捉えていたけれど、最初から世の中変えるつもりの宗教もあって、それがまた信者を集めるというのは、不勉強ながら目からウロコだった。
2022/08/30
烟々羅
「教養としての」とは雑学でありお遊びであることの宣言だ。全体を通して一貫した視点など設定しないし、また話題の性質上、一貫した視点をもてばそれも宗教・思想となってしまうので意識して排したともいえる。それで良い。個々の事件のみが唯一確かなものだ。 西洋史の裏に流れる宗教は他にも多数の文献があり一般的だが、伝奇小説、漫画で断片的に知られる日本明治以降の新宗教など、少なくとも私には目新しい話が多く酒の肴になるような雑談の種としては実り多かった。
2018/09/18
ホシ
「事件」史と銘打つものの、世間を騒がせた事件を論ずるのではなく、古今東西の伝統宗教から新宗教に至るまで、各宗教の転換点や発展・衰亡の契機を論じている。深みに欠けるが、非常に幅広い宗教の知識を得られて良かった。テレビでも、たまに見かける島田氏。氏はどの宗教も信奉していないだけあって、文面は非常に淡泊。悪く言えば、冷めた文章。それは学者の態度として間違っていないが、その宗教の信者からすれば、心穏やかではない記述が散見される。真◯苑はオ◯ムに似てるとかね。田中智學の思想がどんな物なのか気になった。
2017/02/16
ミヒャエル・安吾
本来、宗教は「スキャンダラス」なものである、を合言葉に各々の宗教の歴史的な転換点を解説した本。自分としては中国が発展したのは文革によって儒学を排斥したのが理由だと思う。(たとえ、それで数千万人が虐殺されたとしても)そして、今中国政府が儒学を教育に使おうというのは、儒学の思想は根本的に変化(自由)を良しとしないものだからと思う。支配するには都合が良いのだ。日本もいかにして、この軛から逃れるか真剣に考えた方が良い。
2017/04/23
ふたば
宗教がいかにして発生し、発展し、変化していったのかを宗教に絡んだ事件をもとに解説している。少々理解困難な部分も多いが、長い歴史の中で、信仰と宗教がいかに人に影響を与えてきたのかが良くわかる。宗教における日本の特異性、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教と言う、信じる神も、聖地も同じ宗教の対立。争っても、時代が変わっても立ち消えることは無かった。また、様々に発生する新宗教の存在。人は神や仏を明にも暗にも心のよりどころにして生きて来たのだな。
2021/01/24
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