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砂男,無気味なもの (河出文庫 ホ 3-1 種村季弘コレクション)

砂男,無気味なもの (河出文庫 ホ 3-1 種村季弘コレクション)

砂男,無気味なもの (河出文庫 ホ 3-1 種村季弘コレクション)

作家
E.T.A. ホフマン
S・フロイト
種村季弘
出版社
河出書房新社
発売日
1995-03-01
ISBN
9784309461373
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砂男,無気味なもの (河出文庫 ホ 3-1 種村季弘コレクション) / 感想・レビュー

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梟をめぐる読書

幼少期のトラウマを媒介として何度でも青年の前に甦る怪人の恐怖を描いたホフマンの小説『砂男』と、アニミズムに支配された世界観の再帰として恐怖感情の源泉を辿るフロイトの論文「無気味なもの」を併収。初読では「砂男」の伝承とピグマリオンのテーマがなぜひとつの短編に雑居しているのか掴み辛かったのだが、超自然に対する恐怖と自動人形への愛の間で揺れる青年の姿はそれ自体、太古の世界観と近代的合理主義の間で引き裂かれる現代人の姿でもあったのだなと。フロイトが「無気味なもの」の領域に「自動人形」を含めていない点は注意が必要。

2015/07/13

内島菫

ニール・ゲイマンの「サンドマン」の源流である本作を読んで、夢の王・サンドマンの持ち物のひとつが砂袋であることに納得。また、夢の王がサンドマンという名前であるのも、砂男とズレつつ重なっていて面白い。砂男は眠らない子どもの眼に砂を振りかけて目玉をとるが、それはある意味、こどもが永遠に悪夢に引きずり込まれることであるだろうが(本作のナタナエルがまさにそう)。サンドマン(夢の王)のもうひとつの持ち物・ルビーは、そんな子どもたちの目玉から流れる血の結晶なのだろうか。

2020/08/26

猫丸

突拍子もない形態のバケモノが出てきたら、そりゃあ驚くけれど、ここで言う不気味とは違う。「新奇なものでもなければ見知らぬものでもなくて、心的生活に古くからなじみのあるなにものかであり、それが抑圧の過程を通じて…」(p.135)とフロイト。それが”heimlich”の意味が”unheimlich”へ越境する事例の説明の一つたり得るとの考えを述べる。できれば抑圧理論に回収したいが、全部を割り切るのも無理なので「残る要求はどうやら美学研究」(p.147)と逃げ腰。しかしともかく論を立てるフロイトの意気や良し。

2023/08/02

白義

幼き頃に見聞きした砂男の恐怖が長じてなお再帰し、ナタナエルの心を縛り続ける。何度心から追い出しても蘇るそれはやがて彼を狂気の淵に追い込んでいく。ホラーの怪物と現代の機械狂いが交差したところで破局を迎えるこの物語を一つの手がかりに、フロイトは無気味さという感情を分析する。無気味とは未知なるものへの感情ではなく、かつては馴染み深く、今は超自我により抑圧された幼年時代のナルシシズム、古代のアニミズム的世界の回帰である、という分析は秀逸。魔術的世界を放棄した合理はその再来日に怯え続けるのか

2013/03/09

三柴ゆよし

再読。ドイツ幻想文学の古典的名作と、あまりに有名なフロイトの論考、種村季弘による解説という、贅沢過ぎる構成。「無気味なもの」とは「知の不確かさ」によって惹起されるという説をくつがえし、むしろそれは「昔からよく知っている、古なじみのもの」であり「抑圧の過程によって精神生活から疎外されてしまったもの」と規定したフロイトの手並みはあざやか。折口信夫が提唱した「妣が国」としての「常世」なんて概念の両義性は、フロイトの論理に物の見事に吸収されてしまうなあ。去勢コンプレックス云々はよくわからんけど。

2010/07/22

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