三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン (河出文庫 ユ 1-1)
三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン (河出文庫 ユ 1-1) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
ユルスナールによる三島の作家論、作品論。全編、三島へのオマージュに溢れているが、とりわけ圧巻なのは、「憂国」(彼女はこれを「至誠」とすべきだったと言うが、確かにそうかも知れない)の映画再現から’70年11月25日、三島の自決に至るまでの軌跡を描いて見せるあたりは、批評家のそれではなく、まさに第一線の作家ならではの想像力だ。三島の葬儀の時に母親が語ったという「そんな悲しい顔をしないで。今度はじめて、やっとあの子が本当にやりたかったことが出来たのですから」というあたりは、まさに本書の頂点。作家的共感の極み。
2014/10/31
スプーン
仏女流文学者に寄る三島の追求。丹念で詳細な調法、鋭敏なる分析。尊敬の念と追悼の意が込められた美しき評伝。
2022/07/14
、
ハドリアヌス帝の回想なんかでなんかゴリゴリな文学をわたしにくれたユルスナールの三島論。やはり仏語訳者のフィルターだったり、日本語のニュアンスなんかから受け取れるものが受け取れないというのは大きなアドバンテージなのか論が粗い。また伝記とひっかけるものが多く一次文献の検証が少ない。仏語でもいいからもうすこし一次文献を検証してから物言って欲しかった。評論としてはあまりできは良くない。ユルスナールの三島の感想って捉え方のが落胆しなくて済む。でも、三島の事が好きなのはわかったよ。私も三島が好きだしあなたも好きだよ。
2014/10/27
双海(ふたみ)
三島の残した膨大な作品群に比べたとき、文庫本にして150ページあまりの本書は、あまりにささやかか小論といった印象を与えるかもしれない。たしかに作家の生涯を追った詳細な記述も、作品に対する緻密な分析も、本書のなかに読むことはできない。けれどもここには、凡百の三島論とは一味違った特徴が見られる。それは自身がすぐれた作家であるユルスナールが、三島の作品に深く身を浸しながら、そのなかで得られた共感を、繊細な筆づかいで描き出している点にある。(平岡 敦)
2014/10/13
風に吹かれて
あのように決行した、ということから離れて三島由紀夫の作品を読むことは私には不可能だ。作品のみならず、自身の人生をもひとつの芸術作品を築き上るかのように生きた三島由紀夫。結婚に際して私的な日記は焼き捨てたと言われているだけに、三島自身が実際のところ自分の生き死にをどのように考えていたのかも分からない。それでも、いくつかの作品を今後も読み、楽しんだり、あるいは私には理解できない表現に吐息を漏らすのだろう。三島由紀夫の“空虚”を少しでも深く知るために・・・・・・。
2017/04/14
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