批評と臨床 (河出文庫 ト 6-10)
批評と臨床 (河出文庫 ト 6-10) / 感想・レビュー
燃えつきた棒
村の隅々をあちこち探索してみても、「城」への入り口は一向に見えてこない。 注の極小ポイントの活字が眼を射る。 まるでカリンティ・フェレンツ『エペペ』の、未知の言語を使用する国に迷い込んでしまったブダイのようだ。 あるいは、そもそも僕は最初から追放されてあるのだろうか?/ カフカの『流刑地にて』の「処刑機械」は、キリスト教のことではないか? 「処刑機械」は、そのシステムに拘束された者の身体に馬鍬で刑罰を書き込むのだから。 馬鍬で身体に書き込まれる刑罰=最後の審判ではないだろうか?/
2023/09/30
シッダ@涅槃
半月かけて読了。最後のスピノザ『エチカ』論は急ぎ過ぎたかもしれない。◆はじめ5章で生成変化を語っていたり、馴染み薄い作家を扱っていたり(僕は寡聞にして、ルイス・ウルフソンの大ファン!というひとを知らない)、カント論がやたら難解だったり、躓くことが多いように思える(かく言う僕もそれでしばらく頓挫してた)。しかし、そこを超えると思考のほとばしりの激しさの一端は垣間見える気がする。どこから読んでもいい書物なのだろうが、難渋な序盤からせつせつと読むことをオススメします。思考と文体のリズムに慣れてくるから。
2019/05/18
OjohmbonX
文学は母国語を外国語に変容させる企てなのだという話、カントにおける私と自我が時間によって分離され関係づけられているみたいな話、黙示録が権力を作り出していく話のいずれも、静的な帰結ではなく常に更新され続けていく運動のことを言ってる。って考えると、本書の読み方自体も結論めいた箇所だけを見てもしょうがなくて、どういう運動でこの本が成立しているかを読まないとダメだろうなと思うものの、まるで力不足だった。本書自体が「母国語を外国語に変容させる企て」の実践になってるのかもしれないけど、そこを読むまでには至っていない。
2014/03/27
zumi
「逃走」「近接のゾーン」「健康」「吃音化」「マイナー」「生成変化」など、実に様々な用語が飛び交う、非常に難解な一冊。オイディプス構造(いわゆる支配構造、壊そうとしても新たな構造が生まれるだけ)から「逃走」し、不変のものを拒絶し続けること(生成変化)、それは文学の中でしかできないことなのだ。作家は「吃る」必要がある。何故なら、母語のシステムの統辞法を破壊し、マイナー化し、解体し、錯乱させることで初めて文学は「健康」たりえるのだから。言語の無秩序こそ、文学の秩序に他ならない。いやー、これは中々ヘビーだ•••
2014/02/22
なっぢ@断捨離実行中
副題に『ドゥルーズ文学論集』とでも付けたほうがよさそうな小著。小説家志望は最初の『文学と生』だけでも読んでおいたほうがよさそう。母国語の外に立ちメジャー言語をマイナー化すること、来るべき民衆=人民を創り出すこと、書くこととは作家とは別のものになること――様々な示唆を受けるか逆に考えすぎて何も書けなくなってしまう諸刃の剣かもしれないが……。『文学と生』は一種のホイットマン論にもなっている。アメリカ社会主義の底流――イノセンティズムの系譜はボブ・ディランまで繋がっている。
2017/02/15
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