イデオロギーの崇高な対象 (河出文庫 シ 6-2)
イデオロギーの崇高な対象 (河出文庫 シ 6-2) / 感想・レビュー
koke
再読。話題は多岐にわたるが常に象徴界と現実界の境界に注目を促している。たとえばヒステリーでは主体が象徴的同一化をまっとうすることができない。具体的には女性・妻などの社会的地位を課せられていることへの無意識的抵抗ということだろう。だがジジェクいわく主体の地位そのものがヒステリー的であり、主体は象徴界の問いに対する現実界の応答なのだという。こう言われるとつい構造とその項という風に解釈したくなるので難しい。現実界込みの発想に慣れるためにそのうちもう一冊読みたい。
2023/03/27
しゅん
「わかりやすい」と言われているが、後半は理路が追いつけず。ヘーゲルの「絶対知」が一つの強い諦念の表れだというのは惹かれるアイデアなのだが、その主張の論拠が頭に残っていない。マルクス主義における世界革命と局地戦の相違を前提としつつ、現実界には永遠に触れられないというラカン的テーゼを解説していく。これをもっとわかりやすくすると斎藤環『生き延びるためのラカン』か。否定すればするほど強固になるイデオロギーの構造には納得しかない。もう一度読みます。
2023/03/13
rassy0
ジジェクの初書籍。比較的わかりやすかったし、内容は面白かった。読み物として素直に面白い。一方で、一文一文時間かけて丁寧にやる読み方すると割とわからんくなるところも。だから、ただ趣味として読む分には無視してざくざくページを進めたほうが幸せ。本書が主にラカンを手掛かりにジジェク思想を展開してるとすれば、『ヒステリー』を、主にヘーゲルに乗っかって展開するものとして、対置してよいでしょうかね(本書でもヘーゲルは引かれるが)。
2019/11/08
井蛙
ポスト構造主義者たちは、テクストとその解釈を同一の地平線上に置き、あらゆるテクストをそれ自身の解釈を含んだ無限の連続体に置き換える。このような主張においては、すべての玉石混淆たる読解が審美的な次元に平準化されてしまう(そしてこの操作の裏には、ポスト構造主義者たちによる〈メタ言語〉の専横が隠匿されている、というのがジジェクの批判である)。一方ラカンによれば、テクストはそれ自身の不可能性を結晶化した対象の現前によって、その同一性を「遡及的に」担保されるのである。この対象こそがシニフィアンとしての男根なのだが→
2021/01/17
ジジェクをまた一通り再読しているので再読。というか、やっぱりジジェクは厳密に言えばこれ一冊だけ書いて後は手癖で反復させているだけ笑 完成度で言えばこれが間違いなく一番だし、こうやって再読してみてもやっぱり面白い。しかし、現在の政治状況――オルタナ右翼でも、俺たちの国の馬鹿どもでもいいが「ええ、それは馬鹿げたことは分かっています。でも……」というイデオロギーのメカニズムに如何に対抗すればいいのか、そこに啓蒙で応答しても仕方がないだろう。何よりもその徴候の「分析」=「批評」が求められる。
2017/05/02
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