世紀末を語る: あるいは消費社会の行方について
世紀末を語る: あるいは消費社会の行方について / 感想・レビュー
令和の殉教者
消費社会の展望について、90年代に巨人2人が語ったもの。吉本は選択消費(生活必需品以外の消費)が大きくなっており、これを大衆が一斉にやめると国家にとって大打撃なのだから、もう経済的な主権は国ではなく大衆の側にある。これをリコール権として発動できるようにしよう、というようなよくわからない議論を展開している。一方、ボードリヤールは近代の先鋭化の結果として社会が閉じてしまって、未知との遭遇のない完了してしまった現実を、歴史性を欠いて消費し続ける社会システムを問題化していて、こっちの方が面白そうだと思った。
2021/11/27
かめすけ
講演、対談形式とのことで読みやすさを求めたが内容が難しく、ボードリヤールの思想を少しでも理解するには他の著書も読む必要が私にとってはある。ポストモダン思想の代表者が、20世紀末近い1995年に語った言葉は、約30年経った今を予知したような指摘に近づいていると感じる。現実は完了したという幻想は、現実からの排除₍×疎外。システムへの統合と肉体的な排斥)=死をもたらす。それに対抗的な意味として付与されるのが、阪神淡路大震災に代表されるようなカタストロフである。P155「カタストロフは人間活動の再活性化をもたらす
2024/04/25
Bevel
消費資本主義社会において、国民は政府に対する直接リコール権を持つ。という吉本の一点突破の論に比べると、ボードリヤールの語る、価値観が消滅した世界で、潜在的なメディアから浸み出してくるスペクタクルを生きる人々というイメージは今でも通用するものだと思う。ただ自分は、メディアや神話といったものを、潜在性という言葉に全て投げ入れてしまう前に、潜在性がどのようにして形を変えるか、そして影響を受けるかということを考えたいなと思った。
2009/11/17
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