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巨大建築という欲望―権力者と建築家の20世紀

巨大建築という欲望―権力者と建築家の20世紀

巨大建築という欲望―権力者と建築家の20世紀

作家
ディヤン・スジック
五十嵐太郎
東郷 えりか
出版社
紀伊國屋書店
発売日
2007-09-20
ISBN
9784314010313
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巨大建築という欲望―権力者と建築家の20世紀 / 感想・レビュー

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Haruko

お粗末で陳腐な建築物を増やさない為にジャーナリストになった著者が、白い棒を持ち模型を指し示す権力者とかしこまり説明する建築家という構図で20世紀の巨大建築物を読み解く歯に衣着せない痛快読み物。ザハ・ハディドも登場。数年前ミラノ中央駅に降り立ちその壮麗な巨大建築に鳥肌がたったがムッソリーニの肝いりと知り自己嫌悪。時間がたてば政治的思惑は消え、芸術としての建築物だけが残る。あまりに権力者におもねた建築物は破壊されてしまう。破壊されない為には建築家が権力者以上に自己中心的でなければならないのである。

kojisec.

ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、ブッシュ、フセイン、ロックフェラー・・・建築を残すというのは、権力者が自分の力を形として残すという欲望に繋がるのでしょうか。よく我が国で「21世紀になって巨大建築は時代遅れ」という指摘が見受けられるが、ただ舞台が経済発展著しい中国や、中東ドバイに移ったというだけで、本質は時代が変わっても変わらないと思う。さて表紙が東京スカイツリーに見えるのは私だけでしょうか。

2010/12/31

ネオジム坊

建築家と権力のスキャンダラスな関係を描く。ただ、八束はじめの著作にも言えることなのだが、ジェネラルな建築表象を扱うことで意匠分析としては従来の造形解釈の域をはみ出さないように扱われており、その点では物足りなく思える。創作者の意図を、イデオロギーに還元することで構造分析として明解になることは理解できる。しかし、巨大建築における創作者自身の実存に迫る試みは、「お粗末で陳腐な建築物を増やさない為」という大義の前にもあまりにも危険過ぎる行為なのであろうか…

2015/12/25

ON

巨大な建築とは、それだけで人々に畏怖の念を起こさせる。そのため権力者は巨大建築を欲し、建築家は権力者と結びつくことで地位を高めようとする。ヒトラーとシュペーア、ムッソリーニとテラーニなど国家的権力者はもとよりCCTVとコールハース、グッゲンハイム美術館とゲーリーなど企業や文化組織においてもその傾向は変わらないというところが面白い。表に出てこないプロジェクトの裏側も書かれており、建築家の違った一面も知ることができる。また、五十嵐太郎の解説で日本にはそういった力を誇示するような建築が少ないという論も興味深い。

2012/04/26

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