権力の予期理論: 了解を媒介にした作動形式
権力の予期理論: 了解を媒介にした作動形式 / 感想・レビュー
またの名
専門家でもないのにこのテーマを議論している恐れその他諸々知らずの大胆な経緯を、後書きで公開。権力を予想する理論ではなく、行使する側と行使されることを予期する側の戦略判断から権力現象を定義し分類。自由だからこそ前提としてのそれから逃れる自由がない資本主義の権力、昇進や褒美をチラつかせて従わせる権力、誰か特定の人称を持たない法権力、流行や伝統のように皆が従ってるから従う権力、上司の責任が問われかねない危機に明確な指示がなくても意向を汲んで忖度させる権力…etc。だが何より文体がとにかく強気な自信オーラを放つ。
2024/10/06
うえ
「日本の法文化をみると、法テクストに言及されている全てのことについて国家権力を呼び出すわけにはいかない事情がある。この法文化に逆らって呼び出す場合の危険は、隣人訴訟の嫌がらせの例が示している。こうした局面では「法は頼りにならない」という現実がみられ、まさしく日本における近代法文化の未成熟が示されるが、同時に示されるのは、法が法として機能するためには、市民が誰でも所有している「国家権力の呼び出し可能性による権力」が社会的権力化され、他の任意の社会成員の志向によって補強されていなければならない、ということ」
2024/06/06
ぷほは
言わずと知れた社会学者の初の単著だったわけだが、内容はともかく、書き方が延々と概念の類型化を進めるようなかたちで、パーソンズのように長くないし切れ味もいいのでまだ読めるが、だからといっていま読んで面白いかと言われると難しい。数理社会学の専門書ほど込み入った数式が出てくるわけでもないのだが、その代わりマーケティング的というか、図式的な議論がかなりの部分を占めている。やはりそもそも、この人は手堅い学術書を書くことにそれほど関心がなかったのだろう。全くもって、頭が良すぎる人にも困ったところはあるものだ。
2016/12/06
トックン
どうして人は自由になれないのか?鍵概念は「予期」(≒民法の「予料」)で期待(~であるべき)と区別される。「権力」の行使者と受容者各々に「予期」が働くことによって、権力は複雑化する。複雑化に伴い、権力は人称的→奪人称的→汎人称的へと性格を変えていく。これはウェーバーのいう社会の発生とも言える。つまり、正統性の調達がカリスマ→伝統→官僚制と変化したのと相似形だ。一対一関係の権力が実は背後に予期として他=多を含むことにより権力分析は煩雑化し未規定性に開かれる。権力の失効=自由という短絡化を熟考へと誘う。
2016/07/09
青大豆
人間が1対1で向かいあった時にすでに生じている権力関係を出発点に、それを少しずつ発展させ、そこにかかわる要素を選り分けて類型化し、またそれを組み合わせたり発展させたりする作業を重ねて、私たちが実際に生きている社会や集団がどのような権力関係の作り方をしているのかを考察しています。とても面白かったですね。いい本なんじゃないでしょうか。
2014/08/20
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