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〈私〉の存在の比類なさ

〈私〉の存在の比類なさ

〈私〉の存在の比類なさ

作家
永井均
出版社
勁草書房
発売日
1998-02-25
ISBN
9784326153312
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〈私〉の存在の比類なさ / 感想・レビュー

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ころこ

近年、著者の本は主論の一方で、結構な分量で「落穂拾い」を行う。その脱線により議論が進まなくなり、読み易さを削ぎ、その本の分量が尽きたときに議論は宙吊りになる。そして、次の本ではまた最初から議論が始まり、程なくして「落穂拾い」も始まる…本書は初期の著者の議論に対する「落穂拾い」にあたる。後年にまとまった優れた本が出ているので、大半の読者には不要だ。しかし、著者自身は案外と、本書のようなところにこだわりをみせる読者が本当は哲学に向いていると考えていそうだ。

2023/07/26

テツ

永井先生の説く『私』という存在の在り方。大昔から幾多ものとても賢い人々が追い求めてきた『私』という存在。その在り方。僕なんかがそれについて理解できる筈はないのだけれど、どうしても「なぜこの僕は今こうして存在しているのか」という子供の頃に浮かんだぼんやりとした疑問はいつまでも僕の内部に鎮座している。この宇宙が誕生してから百数十億年。そんな長い時間の中で、今この瞬間しか存在しない自分という存在について考えれば考えるほど、その周囲を取り巻く不思議さに飲み込まれていく。

2015/08/08

淺野 昌規

二回目です。

2015/02/11

うなじ

実質が公共性を犯すことはない。たとえばぼくが「おっぱい」と語る時、それがお椀型のおっぱいやロケット型のおっぱいやたわわな巨乳や侘び寂びの効いた貧乳、そのいずれかを内容、つまり実質として意志し発話したとしても、それは「おっぱい」という言葉の公共性を犯したりはしないのである。概ねこんな感じでした。感想。

2015/11/24

伊勢田和良

永井均「<私>の存在の比類なさ」を読みました。 「存在・自己・他者」に関する考察と、永井論文に対する批判への反論です。 ヴィトゲンシュタイン、デカルトの独我論に触れつつ永井流の<私>的独我論を展開します。 今までの永井哲学の再確認のような感じです。 後半は永井論文に対する反論ですが、もとの論文を読んでないので(読む気もしませんが・・・)、チンプンカンプンです。 この後半部分が読めるのは、存在論をかなり勉強し、永井哲学を理解している人たちのみでしょう。 マニアックな世界の読み物で、一般向きでありません。 い

2015/09/27

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