マルテの手記 (光文社古典新訳文庫 Aリ 1-1)
マルテの手記 (光文社古典新訳文庫 Aリ 1-1) / 感想・レビュー
藤月はな(灯れ松明の火)
読んでいると、マルテ君の頭の中で繰り広げられる妄想に共感し放し(笑)ドストエフスキーの『地下室の手記』は引きこもりの自己チュー男が世をグジグジと恨む、どうしようもない姿に辟易しますが、こちらは思考回路が結構、似ているためか、結構、ニヤニヤします。特に自然や風景に対する視点とは相性ばっちりでした。母親などの女親族に対しての想いはプルーストにも影響を与えたのかしら。しかし、ラスト一文が結構、悲劇的なのにそこには自意識の高さ故の主観から逃れられていないからだと思えると苦笑いするしかない
2017/12/29
マリリン
ストーリとして掴もうとすると混迷する。瞳に映る情景から時に過去の回想となり思うがまま、感じたままに展開する世界。理解できずとも美しく幻想的な情景に惹かれる。病気になり発熱した時の日常とは違う世界のような感覚は、遠い記憶をよみがえらせる。下界を見る程に起こる内面での反乱。周囲との対比で自身が小さくなってゆく感覚。アベローネへの想いに連鎖するかのような音楽に対する不安感は、自分との解離となり魂を深い所に連れてゆくのか。詩は経験や感情から命を授かるのかもしれない。
2021/08/12
Gotoran
『マルテの手記』の新訳、訳者によると文章は簡潔にし注釈は最小限にしたと云う。青年詩人マルテは故郷を出てパリに暮らす。不安と恐怖、絶望と焦燥ー孤独な生活の中で、マルテは深く内面の世界に籠り、日々の経験と幼き日の思い出を書き綴って、都市、空間、時間…神、崇高、美、愛等々、様々な事象への思索を重ねる。リルケらしい作品であるも読み易さをあまりにも求め過ぎてしまった感は拭いきれない。若い頃に一度読んだ新潮文庫版(大山定一訳)をもう一度読んでみたくなった。
2020/05/11
踊る猫
難解? そうかもしれない。オーソドックスな筋立てにこだわって読むなら、この本は支離滅裂な思いつきのモザイクだ。だが、内省を極め死に接近したテクストとして読むと実にスリリング。難しい話ではない。自分の死について、「子ども」の視点を忘れずにその不可解さを沈思黙考し、二度と戻ることができない幼年期に思いを馳せる。その時、なにがどうあろうと変わることがない過去は輝き始める。そのノスタルジアとタナトスの強度に接近し、それでもなお今を生きる人間として眼前の現実に愚直であろうと自律すること。その凛とした姿勢が生んだ一冊
2020/04/14
ぺったらぺたら子
「音楽はぼくをずっと深い場所、どこか未完成の世界に連れて行くのだった」。自他の境界が、空間的にも時間的にもくっきりと切断されたものとは違い、ずっと大きく深く、混ざるようにして広がっている感覚。そのフェイズを示し、事物の霊的な在り方へと引き戻す。そこに立ち返った上でまた、近代的な個という切断を試みているのだろう。そこで問われるのは愛する事と愛される事との違い、愛するという能動が示す、世界の根源的な力、神という装置と、神後の愛の姿。最後の放蕩息子の箇所で、バラバラのようであった全体の像が統合されて行く。
2021/07/04
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