父の生きる (光文社文庫 い 48-2)
父の生きる (光文社文庫 い 48-2) / 感想・レビュー
メタボン
☆☆☆☆ カリフォルニアと熊本との遠隔介護。経済的にも体力的にも精神的にも大変だったことを伺わせる。父と電話で話しても毎日が退屈だとの愚痴ばかり。いたたまれない。最後まで健康でいたいし、好きなことをやり続けたい。そして心の交流が出来る間は親とも向き合う機会をちゃんと持たなければという思いを抱いた。
2021/07/12
シュシュ
比呂美さんは、お父さんの死後、自分はお父さんを捨てたと悔やんでいたが、夫のいる米国とお父さんのいる熊本を行き来し、精一杯やっていた。お父さんの言葉には娘への愛情が感じられた。出棺の前に叔父さんが般若心経を読み、従弟が真言宗の何かを読み、娘のカノコの夫がキリスト教の何かを唱えた。『賑やかで、いい加減で、和やかで、明るかった』その風景がいいなと思った。『親を送るということは、自分の成長の完了じやないかと。…今もずいぶん足元はもろい。その上薄ら寒い。でも、なんだかやっと、おとなになり終えたような気がした』
2018/12/17
Yu。
母親に先立たれ、残されたのは老犬と老いと病に見舞われた80代の父親。。海外で家族を持つ一人娘である著者の、日本と米国を行き来し(父を)見送るまでの3年半が記された介護奮闘録。。病院、ヘルパー、親戚、友人、娘達‥と、絶えず支えがあるにも関わらず、彼が唯一求める拠り所は娘の“比呂美”。。我がままな子供へと返っていく父を受け入れ続け、疲弊していく比呂美さんを見ているとやり切れない思いに駆られるが、どんな状況にあってもしっかりと対峙してる彼女の姿を見てると今ある私の小さな不安なんぞ軽く払拭させてくれる。。
2017/08/06
小豆姫
熊本で独居する高齢の父を、カリフォルニアから遠距離介護を続けた娘の3年半。それは、無聊をかこつ父の孤独と寂寥と退屈に耳を傾け寄り添い続けた日々の記録。親子のかたちも介護のかたちも様々だから、ギリギリの精一杯が胸を打つ。それでもどんなに尽くしても、悔いばかりが残るのだと。ああ、ろくに見舞いにも行かず父の最期から逃げてしまった若い自分が、今さら情けなく悔しい。
2018/09/23
今庄和恵@マチカドホケン室/コネクトロン
欲しかったのに貰えなかったものは、それを他者に提供することによって貰えたのと同じことになる。母がくれなかったものをくれた父であったからこそ、母に起因する欠落感はその父の愛情をもってしても埋めきれなかったということかと思う。
2017/04/16
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