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古武術の発見: 日本人にとって「身体」とは何か (知恵の森文庫 a よ 3-1)

古武術の発見: 日本人にとって「身体」とは何か (知恵の森文庫 a よ 3-1)

古武術の発見: 日本人にとって「身体」とは何か (知恵の森文庫 a よ 3-1)

作家
養老孟司
甲野善紀
出版社
光文社
発売日
2003-02-15
ISBN
9784334782030
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古武術の発見: 日本人にとって「身体」とは何か (知恵の森文庫 a よ 3-1) / 感想・レビュー

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姉勤

身体性をテーマ(?)に武術家と解剖学者の対談集。 合理主義の現代の出力だけを高めるトレーニングでは、いづれ限界に行きつき、力の作用点は変わらないため、簡単に捌かれてしまうとの事。 古武術は、稽古によりオートマチックで身体を動かすフォーマットを、意識下に置いて一旦組み直してマミュアル化し、更にオートできるまで訓練する事で超人的な働き(術)を得るという。 達人が、具体化言語化を放棄して奥義が「無」とか「円」観念化する理由や 便利になっていく事で失われていく肉体性についても興味深い。

2013/04/07

安国寺@灯れ松明の火

副題の通りの「身体」論で、「オートとマニュアル」の章が印象的でした。考えてみれば「マニュアル」は面白い言葉で、「オート」と対になる場合は「コンピュータや電子機器によらない、人間による」という意味ですが、「作業手順をまとめた文書」という意味でも使われます。本来、自動化されない「人間」の頭を含んでいたものが、「マニュアル人間」という言葉が示すように、局面を限定して言語化することでかえって頭の硬直化を招く場合があるのも皮肉な話といいますか。やはり両方大切で、「居つく」のはタブーということになりそうですね。

2014/04/19

大先生

難しいけど面白い!【江戸期に剣術から身体性が失われ、一種の教養としての剣術になっていった。その過程で具体的な技とか術が失われることになったが、実はその背後に「禅」の思想が関わっていた…。】【白隠禅師は、禅で神経衰弱になったのに、そのうち悟って病気が治った。禅は病気に効く!などと吹聴して回ったが、これぞマッチポンプ!】…禅について、そういう見方もあるんですね。勉強になりました(笑)日本人が精神論に傾きやすいのは禅の影響というのも、なるほどと思いました。これから私も、もう少し「身体」を意識してみようと思います

2021/02/03

Sakie

甲野さんの日本武術史研究に基づく見識と、養老先生の思いつき発言は、かみ合っているのかすら理解できない。中盤以降の、身体の知見と脳生理学の知見を突き合わせての談義は興味深い。人間が身体を動かすことのオート/マニュアルを小脳/大脳の働きに絡めて考察すると、人生で積み上げた後天的オート回路の上書き作業=修練はそら難しいわな、と納得できる。一人稽古の難しさ、修練の回り道は誰でも経験することなのね。うまくいかないことこそが経験値、か。『基本の大切さは、あるていどにならないとわからない』『人間にとって自然とは何か』

2015/04/14

Ryuya Matsumoto

 両先生のお話、どちらも興味深く読みました。特に「オート」と「マニュアル」の話が印象的で、もっとよく考えてみたいと思いました。とにかく、体を動かしたくなる本でした。

2016/11/28

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