コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。
コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。 / 感想・レビュー
踊る猫
情報量が多く、翻訳調の文体と台詞は何処までも論理的。つまり、こちらに伝わらない曖昧さを残さない小説。その伝達への異様なほどの情熱は、後の世代が逆に情報を増やすことによって目眩ましやギミックに走ったのと異なり、何処までも愚直な「伝える」という情熱に裏打ちされている。簡単に言えば、田中康夫やブレット・イーストン・エリスのようなニヒリズムには陥らない、愚直に語ることの力を信じている作家の小説という印象を受ける。だから、この小説は読んでいて陰鬱な気分にならない。この情熱は後の誰に受け継がれて今日まで至ったのだろう
2019/11/06
踊る猫
片岡義男の小説は面白い。だがそれはもちろんストーリーテラーとしての面白味ではなく、哲学者/探求者として彼が作中人物に託して開陳する哲学の面白味にあると思っている。彼が書く会話はなるほど村上春樹のそれにも似て(いや、それ以上に?)不自然だが、しかしその不自然さは時に彼らが恋人同士であっても仲睦まじい中にシリアスな対立を見せ、「和やかな議論」とでも呼ぶべき境地へと至る。この自伝的な作品においても精彩を放つのはやはり、彼らが和やかにわかり合っている段階ではなく相違を明らかにする瞬間でありそれは後々まで忘れがたい
2022/03/09
踊る猫
例えば『豆大福と珈琲』という彼の作品集のタイトルが語るように、片岡義男は決してアメリカかぶれの人間ではない。彼の地の文化をいたずらに称揚して日本を貶めるニセモノの国際派ではなく、日本文化の持つキッチュなところや愛らしいところ、誇れるところをそのまま受け容れるだけの度量を併せ持つ人間である。それはこの小説からも窺い知られる。英語に関する分析あり、繊細なラブロマンスあり文化論ありとどこを切っても片岡印。彼はフリーランスの書き手としてひたすら現場で筆を磨き、ここまで語れる人間として己を鍛え上げたのだと唸らされる
2023/02/26
踊る猫
「テディ片岡」時代を回想した、とも読める小説群だ。本格的な小説家として台頭する前のフリーライターの彼(だが、同時に紛れもなく恐ろしい炯眼を備えた批評家でもあった彼)に興味があったからか、ここで綴られる彼の「青春」に微笑ましさを感じてしまう。あまり他のものと対比して褒めたり貶したりするのも嫌なのだが、それでも(私が書くものも含めて)凡百の小説が束になっても敵わない「本物」の知識を感じる。それは「ペイパーバック」を読みこなす語学力と先述した批評眼ゆえに身についた、ゴージャスな都会っ子のセンスだからかもしれない
2022/08/13
青豆
大学在学中にコラムの執筆と翻訳を始め、3ヶ月の会社員生活を経て小説家になるまでの歳月を音楽と共に振り返る自伝的小説。作中に登場するレコードは、作風から洋楽だけかと思いきや、邦楽も多々あるのが驚いた。ロック、歌謡曲、ジャズ。原稿用紙と鉛筆。喫茶店にバー。自身の作品を体現した様な青春時代を送っている作家以前の片岡さんの姿がただただカッコいい。白いシャツに黒のニットタイを結んで、作中に出てきた音楽を流しながら珈琲を飲んでみたい。
2017/08/06
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