余は如何にしてナショナリストとなりし乎
余は如何にしてナショナリストとなりし乎 / 感想・レビュー
ダイキ
福田和也の場合、こういう如何にもな本はどこまで本気で書いているのか判ったものではないため、注意を要するし、あまり面白いものでもないのだが、本書は題名が示している通り、自伝に一章が割かれていて、神棚と仏壇と孔子像が並列された仏間に引きこもっていた満州帰りの祖父の話や、母の思い出話によって福田は満州に「郷愁」を感じていることなど、その部分はそれなりに興味深い内容となっている。特に、幼少期の福田が死への恐怖から棺を自作してそこに潜り込み、簡単な臨死体験をすることによって死への恐怖を紛らわせていたということが、↓
2019/07/10
Ai Watanabe
言い方は激しいけれど内容は正しい。スカッとします
2016/04/14
gokuri
前半は、似非ナショナリスト批判。後半は著者のナショナリストになるまでの自伝となっており、かなり色合いが異なっているが、それなりに楽しめる。相対立する者も尊敬しあえるといった主張。
2014/04/19
はるしにゃん
過去と未来の交差するところで、歴史の古層を見つめること、文化のインターテクスチュアリティを背負いながら、緊張感を持って生きること、それがナショナリズムであり、イデオロギー以前の最低限の倫理であって、かつ、それは知性や人生に強度をもたらす美学でもある、と語られている。
2011/12/17
のうみそしる
前半まではナショナリストの定義が良くわからなかったが、読んでいくうちに具体例も交えてあり、理解できた。……と思う。作者の経歴の章で、日本を省みずただ外国の文学に熱狂している日本人の姿を見て、ハッとなりました。
2010/09/12
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