エクリ 1
エクリ 1 / 感想・レビュー
Z
思うことの部分を想像界なる言葉で表し、特に鏡像段階なる言葉で人間における想像の役割を考察した。生後6カ月の子供は自己を鏡に映すと小躍りして喜ぶという現象でチンパンジーには見られない。幼生成熟(未熟な常態で生まれ親による保護期間が長いこと)する人間は神経未発達のまま世界に放り出されるが、現実的には寸断された身体であるが、鏡に想像的に自己の統一的なイメージを先取りするという、現実そのものより、期待なり予期といった未来を先取りした、自我の構成を論じるものであり、この鏡像への同一化を疎外とも呼んでいるが、原初的な
2018/09/20
Z
テーマが想像界から象徴界へ段々と移行していく。まず第一の前提が、精神分析は分析家と患者の対話によって治療するということ。この時期には治療とは患者の退行(以前の発展段階に戻ることあるいは発展せず以前の状態に止まること)と現実的な状況とを調和させることである。この時、患者は本当の事をすらすら口にしない。外傷的な出来心に口ごもったり、自分を良く見せようとしたり、転移と言われる過去の人間関係(例えば恋人の役)を医者に割り当て、治療の現場で再現しようとしたりする。ここで、思うことと実際そうあることの解離が生じる。
2018/09/20
Z
不調和を外側にある自己の像で取り繕う自我の不安定さ、そこから生じる他者への攻撃性などが説明される。
2018/09/20
Z
セミネール読めば、エクリの一巻は読まなくてもいいかと思う。加えて二巻、三巻に比べて内容が不明瞭。エクリは二巻から読むのが正解かもしれない。有名な鏡像段階論の他は、他の心理学の批判とフロイトの言語活動の重要性の指摘する内容であるが、他の著作で詳しく分節され語られているので上記の結論となる。通例欲望と訳されるところを欲求と訳しており、訳語の統一性が保たれているかは翻訳読む限りわからないが、現代からみると通例の翻訳から離れているので、少し注意がいる
2022/09/24
罵q
主に象徴界について。「精神分析と言葉と言語活動の領野」では、精神分析の時間性についてフロイトの死の本能にハイデガーを結びつけて語る。ハイデガーの論では物足りなかったフェチズムへの言及として解釈したらタメになった
2019/03/22
感想・レビューをもっと見る