完全な真空 (文学の冒険シリーズ)
完全な真空 (文学の冒険シリーズ) / 感想・レビュー
南北
架空の書物に対する書評といえばそれまでだが、そう単純なものではない。冒頭にレム著の「完全な真空」の書評があり、その書評を誰が行っているかを考えるのも面白い。メタ的に考えると第三者の誰かなのかもしれないが、あるいはレム自身が書評子なのか? また比較的長めの書評のため内容に言及することになるが、これも作品にならなかった元ネタとも考えられる。最後はノーベル賞の講演「新しい宇宙創造説」で、古さを感じさせないアイデアに感心した。訳者もあとがきを「『完全な真空』日本語版」の書評風にしたのもうまいと思った。
2021/09/16
zirou1984
存在しない書物についての書評集、存在しない講演についての講演録。アイデア自体は決して目新しいものではないが、語られる本が多彩ながらいずれも魅力的で素晴らしい。古典作品のパロディがあれば正統派な長編作品があり、ディストピアSFがあればサイエンスの臨界点もある。そして本書の冒頭を飾る書評はスタニスワフ・レムの「完全な真空」。それは本作の導入であり解説であると同時に、この作品もまた存在しない書物のうちの一つなのだという再帰的ユーモアなのだ。無邪気ながらも読み手を突き放さない、しなやかな知性のあり方がとてもいい。
2015/02/26
やいっち
宇宙論をはじめ、サイエンスに関心のある元SF好きの小生には興味津々の書評を装った短編集……というか、サイエンス放談集のような作品。 「小説から離れた最晩年も、独自の視点から科学・文明を分析する批評で健筆をふるい、中欧の小都市からめったに外に出ることなく人類と宇宙の未来を考察し続ける「クラクフの賢人」として知られた」という。 科学の専門家ではないが、晩年まで科学や文明の行く末をあこれこ考察する資質は、身の程知らずながらも共感してしまう。 日本だと、安部公房辺りをふと連想する。
2018/09/10
田氏
これは架空の書評という体裁をとっているが、その本質は「読者が望んでいながら、所有できない物語」ということだ。「小説を書くという行為は、創造的自由の喪失の一形態に過ぎない」ともある。つまり、創作物そのものが存在しないという確定事象の上空に、レムのアイデアが自由のままに留められているのだ。ジョイスが10人集まっても執筆困難であろう『ギガメシュ』などに至っては、可能性の靄として宙に浮いたままの姿こそが完成形なのだろう。それを姑息な表現手法というなら、我々は高次元図形を3次元空間に描く手段を探さなければならない。
2019/08/31
里馬
人は何が為書評を成すのだろう。気に入った作品を薦める為。面白くない作品を読ませない為。読んだ気分を忘れない為。文章を書く練習の為。書く事によって理解が深まる為。・・・少なくとも僕はこの様な理由から読書メーターで書評を残そうと決めている。しかしそれなのにばちあたりにもなんなんだこのとんちんかんは!存在しない本の書評だと知らずに読んでいたら、今頃読書メーターやアマゾンで気が狂いそうになっていたよ。全く。
2010/04/04
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