思春期ポストモダン: 成熟はいかにして可能か (幻冬舎新書 さ 4-1)
思春期ポストモダン: 成熟はいかにして可能か (幻冬舎新書 さ 4-1) / 感想・レビュー
ヨクト
いじめ、オタク、ひきこもり、ニート、リストカット、自殺、殺人者予備軍、情緒不安定…等々。子供と大人の間の理解のしにくい不安定な時期にある若者を異生物のように扱い「今時の若者は…」と括ってしまうのは如何だろうか。実は今に始まったことでないものも多い。未熟さを許容できない社会にも問題があるはず。近年変わったことといえば、携帯やネットといったツールである。ひきこもり系と自分探し系の対比は面白かった。
2012/12/27
おっとー
若者と精神疾患の関連についての考察。「今頃の若者は~」といった旧来的な観念のもとで若者に責任を押しつけるのではなく、かといって社会や環境が全て悪いと言い切るのでもなく、「病因論的ドライブ」という造語を使って、個々人とその環境の組み合わせが合わないことにより病理が生じると論じていく。若者や社会を一括りにせず、個々の組み合わせを考えていくのはある種スピノザ的な哲学に近い。個別事情を考え、環境との組み合わせを把握し、徐々にずらしていくことこそ、その人にとって生きやすい状況を作ることにつながる。
2021/01/17
たりらりらん
本書のいうポストモダンは「主体概念」が無効になった時代のこと。「病んで」いるのは個々の要素ではなく、個人―家族―社会という要素間の関係性である。人間関係が膠着し、悪循環になることによって、人間関係が病み、ひきこもりなどの問題につながるのである。本書では、ひきこもりにとらわれず境界例・解離・摂食障害と「若者」について論じられている。本書でも述べられているが、家族療法にヒントを得たとのことで、identified patientの考え方などもちりばめられているように感じた。読みやすく、興味深い一冊でした。
2011/06/12
ころこ
斎藤さんは、【個人、家族、社会のそれぞれに、はっきりと指摘できるような病理がなかったとしても、それぞれの「関係」が病理性をはらんでしまうことがある、ということがあるからだ。】といい、この関係要因を、病因論的ドライブと名付けています。 つまり、個人が持っている性質に対し、何とか障害と名付けて、はっきりと治療の対象とするのではなく、個人、家族、社会の関係性を本人にとって適正に補正していくことで、躓きの経験を克服するという考え方をとっています。
2016/12/04
ちくわ
「病因論的ドライブ」という概念を用いて若者の問題に切り込んでいく。若者の「ひきこもり」等の問題の原因は、「個人」や「環境」といったものに還元されがちである。特に、「心理学化した社会」ともいうべき時代においては、どうしても個人の内面に着目しがちである。しかし、著者は、問題の本質は、個人と環境との間の「関係性」にこそあると指摘する。現代社会は極めて複雑化している。小さな「関係性」が積み重なって日々生きている。このような現代社会を前提にすると、著者の指摘には一理ある。もう少し考えたい。
2016/03/24
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